答えはふいにやってきた

ブログ
09 /03 2017

「そんなことも知らなかったのか」「そう」

ブログのタイトルは大げさだけど、大体の人にとっては、そんなこと知ってたよ。って感じのことです。

昨日のブログで子規の名前が出たので今日はその繋がり。


子規が短歌の改革をしたとは聞いていたけど、政治みたいな組織もないのにどうやって改革は広まったんだろうと思ってました。

俳句や歌はそう派手なジャンルではないし、「歌よみに与ふる書」を弟子のような人達が手にとったとしても、改革というほど広まるもの?と思って。どうやって皆に知れ渡ったんだろうと。

そんななか、少しまえに『子規から相良宏まで』を読みました。

そしたらページを開いて間もなく、<子規が短歌の改革に乗り出したのは「日本」という新聞に「歌よみに与ふる書」という評論を書いたことから・・・>というふうなことが書いてありました。

私は「歌よみに与ふる書」は最初から書物だと思ってました。

新聞の連載だったんですね。そうしたら、歌詠みだけでなく新聞読みにも読まれただろうし、俳人にも本好きの人にも読まれただろうし広まりやすかったんだと思う。

素朴な疑問いちおう解決!


素朴な疑問、8ページ目にして解決。

講演集なのですらすらと読めます。「高安国世から見た近藤芳美」の章をまずは読みたくて購入したのですが、どの章も知らないことがたくさん書いてあってとても良かったです。評伝などの類は書かれてる内容が大事とは思うけど、書いた人の素の部分のようなものがたまに出たりして、そんなところも面白いです。

『子規から相良宏まで』大辻隆弘講演集 /2017年/青磁社

塔8月号 追記☆彡                ~身近なるかな諸先輩~

09 /02 2017
8月号は先人の方々の名前が入った歌がいくつかありました。
詠んでいるかたはそれぞれに思い入れがあり、身近に感じてあるんだと思います。

ではご紹介します☆彡

自転車をおきて大川ながめゐる中学生を視てゐし茂吉 /小林幸子
作者は隅田川(大川)に来ていて、そして茂吉がそこで詠んだ次の歌を思い出しています。

かたはらに自転車置ける少年が大川のみづに対(むか)ひつつ居(を)る   /斎藤茂吉 


大川に向いている少年、それを眺めている茂吉、そしてその茂吉を思い浮かべている作者。時間が同じ場所で繋がっているようでとてもいいなと思いました。




春雨の京都烏丸仏光寺老いし蕪村の住みいしあたり /山下洋
春雨という言葉から年老いた蕪村が持っていたのだろうと思われる静かさや柔らかさへとイメージが繋がっていきます。


悟りとは生きる覚悟と言ふ子規の語録読み解く辞書を引きつつ /上大迫實
語録が作られるほどに子規は格言を残しているようです。悟りとは生きる覚悟、という言葉は『病牀六尺』のなかの文章のひとつ。作者はそれを辞書を引きながら読み解いています。それは今の作者にとって必要なことだからです。


五、六冊茂吉全集を持ち出せば書架空間に夏の日溜まり /栗山繁
一冊どれくらいの厚さでしょうか。五、六冊ぶんの空間。棚には夏の陽が溜まり、夏の時間をゆっくりと茂吉を読む作者。


はるばると子規は来しかな父の村の句碑にあうなり青葉の光 /大内奈々
父の村、こんなところに子規は来たのかという驚き。青葉の光、という結句に作者の心の新鮮な輝きが見える。


ネギ坊主切り取りながら子規の歌浮かび来たりて振り向きたりぬ /岡田昭夫
ネギ坊主の歌があるのかと少し調べてみたけれどわかりませんでした。もしかしたらあるのかもしれません。なかったとして考えてみると、ネギ坊主の形態から一瞬子規が思い浮かび、そして歌が浮かんだのかも。振り向くくらいに子規が迫って来ていてすごい。


土屋文明に初めて採られし歌いまも思い出されるあの感激は /二貝芳
新聞歌壇に土屋文明から初めて採られた時のこと。自分では良し悪しも分からなくて出した歌に丸印がつくということ。本当に嬉しい。結句が少し素直すぎるかと思うけど今もその感激を思い出せるなんていいなと思います。


以上、8月号追記でした☆彡

(助っ人資料 「現代短歌5月号 子規考」「斎藤茂吉の百首」)

塔8月号 作品2、若葉集☆彡

09 /01 2017
9月です。朝夕涼しくなりました。もうひとがんばり涼しくなろう。
作品2の続きと若葉集です。

(作品2)
溢れ出て木々に余れる春の水 力を抜いて峠を下る /市居よね子
瑞々しく溢れくるもの。そういうものに自分をゆだねて歩く自分もその一部のよう。

いつか成ることを夢見る歩の駒でありたいけれど水を飲みたい /大橋春人
成るためには進まないといけない。歩の駒だからそれは一歩づつ。そうやって進んでいった先の自分を夢見ていても、今この瞬間に希求しているものがある。

夜がなおさびしくなった君がねえ猫かおうかなんて言うから /垣野俊一郎
お互いにさびしいと思っていてそれは口にしたら決定的になりそう。猫かおうかはさびしいと言っていることと同じで、結局さびしくなった。会話が自然で、途切れたような結句がいい。

ふと力抜きたるように風はやみ雨のかたちのままに柳は /黒木浩子
柳と雨をやわらかく流していた風。風がやんだあとの雨と柳の情景が静か。

けふ起こることもわからず春陰の信号の黄が遠くまたたく /篠野京
春の薄雲りのなかにまたたく黄色。はっきりしたものが無いなかに立ち、ふと自分の意識のほうがはっきりしていく。

(若葉集)
三本に一本は松だ<帰ったらするべきこと>を数えはじめる /八木佐織
雑多なもののなかにしなくてはいけないものが松を形として現れてくることが面白い。三本に一本は松だ、が個性的。

杵築までひとりで行って杵築からひとりで帰る君が来ぬから /大島綸子
なんともはっきりした歌。とても好きです。杵築は大分にある小さな城下町。君が来ぬから、って約束していたんだろうか。キ音、カ行の音が上手く響いている。

コーヒーの香りが好きで散歩すればいつもの人を窓際に見る /小島利明
おもしろいと思ったのは好きなのコーヒーの香りだけ?なのかな?と。窓際にいる人はコーヒーを飲んでるのでしょう。

訪れたブラスバンドの祭典で太陽の塔の背中眺める /津田純江
太陽の塔の背中。写真でもあまり見ない。ブラスバンドの華やぎは塔の表側でのことでしょうから、背中はいっそうさみしく感じる。

ないものを考えぬようツツジ見るなぜそんなにもたくさんの花 /真間梅子
ないものを考えぬようにツツジを見たのにツツジにはたくさん花があった。羨んでいるともとれるけど、どうしたらそんなに幸せそうに咲けるのかと思ったようにも感じます。

校庭で土星の輪を見る子らの目は今日は左が右より多し /上杉憲一
作者の視点にびっくり。望遠鏡をのぞく子どもの目が右か左かを見ている。今日は、と書いてあるのでいつもこうしてお世話をしている方なのだろう。おもしろい歌です。この方は七首ぜんぶ星の歌。

亡父(ちち)にしか聞けないことを思いおり深く澄みたるみずの碧さに/神山俱生
息子と父親。男として聞きたいことがあったのだろう。その思いは下の句にあるように純粋なもの。もう聞くことは出来ないということがまた思いを深くしているように感じる。

以上作品2、若葉集でした☆彡

(8月号の歌 追記に続く)

広がっていた秋の空

ブログ
08 /31 2017


約4か月間の改修工事がもうすぐ終わる。朝、足場が解体されていくベランダから久しぶりにシート越しでない空を見た。秋の空。8月は今日でおしまい。
8月のいろいろなこと、ありがとう。

歌集は名刺代わりなり

ブログ
08 /30 2017

「やさしい鮫釣れた?」「いや、さっぱり」「歌でも撒いてみる?」「そうすっか」

松村正直さんのブログ『やさしい鮫日記』に歌集を出版することについて書いてありました(8/27)。

10年前くらいまではみんな歌集を差し上げるような感じで出していたこと。
名刺代わりという言葉もよく聞いていた、ということ。
私は初めて聞きました。
そしてこの言葉を聞いて一晩で、正確に言うと読んだ瞬間、自分の考えが変わりました。なかなかこういうことってない。

赤煉瓦歌会のメンバーの一人と、ついこの間歌集を出すか出さないかについて話したばかり。その方も歌集は出してません。
話していたことは、結局自分の気持ちをうまく歌にできたその瞬間が一番幸せな時であって、そしたら歌集っているだろうか、って。その他。

私も歌をはじめて11年くらいになるので、歌会のメンバーから歌集を出せば?とか言って頂いたり、歌集を出された方から歌集を出すことで得られるプラスの気持ちなども聞いていました。

歌集を出すことに積極的になれない気持ちのひとつに、私の歌って面白くないんじゃないか、というのもあり。
もちろん自分では自分の歌は好きで愛着はあるけど、紙を使ってまで見せる歌なんだろうか。とか。

でも、面白くなくってもいいんだ。名刺なんだし。
それが私だってことなんだもの。

今、楽しい気持ち。

ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。スガシカオ好き。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

Happy go Lucky!