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『柊と南天』第0号

歌誌
12 /21 2017

広げてみたらこんなふう。

『柊と南天』第0号。作者は塔短歌会の昭和48年から昭和49年生まれの方たち。同じ年だと親近感も湧いて集まると嬉しいものでしょうね。

創刊おめでとうございます。

メンバーもこれから増えていきそうな、今はまだ準備段階ということで創刊準備号の第0号にしたと書いてあります。ウォーミングアップっぽく、参加者の歌も自選十首が中心。それと題詠。
運動前の体ほぐし、温めは大事大事。0号というのはおもしろいと思いました。


誰になれば一番しあわせ雑踏のひとりになるとときどき思う /乙部真美
前を横切っていく人、すれ違う人。沢山の人の中で誰になれば一番しあわせかと思う作者。そう考えた直後、ひとりしかいない自分の存在へと思いが向かっていったのではないかと思う。人で在ることのさみしさを感じる歌。

ましろなる昏さもありて霧かかる眼下の街をひとはゆきかう /中田明子
作者の場所からは街も街を行き交う人も霧がかかっているために見えにくい。姿だけではなく、人のさまざまな想いも隠してしまう「ましろなる昏さ」がいいと思った。

月の音卵の殻に吸い込まれ卵の割れる音になるまで /池田行謙
卵に月の光が当たっているようなイメージ。光とともに音も吸い込んでいくような。卵に同化するような月、最後は卵とともに割れる静かな音を感じる。

画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森 /加茂直樹
明るく浮かびあがる小道に焦点がゆき、森のなかに伸びている。絵のこちらでは秋になっても絵のなかの森には実がつかない。おもしろい視点と思った。

「柊」
そののちを会わざる人の多かりけむ柊野別れにウィンカーを出す /永田淳

「柊野別れ」という交差点が京都にあり、この場所は昔処刑される罪人を家族などが見送る、そこから先へは行けない終わりの場所だったそうです。ウィンカーを出した時にふとその時代の人たちの大きな別れへと思いが遡ってゆく。昔は歩き、今は車という時代の違いはあっても人の悲しみの気持ちはいつも変わらない、そういう思いが伝わってくる歌。


並んでいる歌が端正で『柊と南天』という名前ととても似合っていると思いました☆彡

コメント

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ご紹介有り難うございます。
いつも楽しみに読んでいます。

Re:

永田淳さま

コメントありがとうございます。
ブログ読んでいただいて嬉しいです。読者がひとりいれば書きますよ~!
「柊と南天」、次号も楽しみにしています。


ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。スガシカオ好き。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

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