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心にのこった歌十首 塔4月号~11月号☆彡

12 /31 2017
タイトルには十首と書きましたが十七首あります。七首オーバー。塔4月号から11月号までのブログに引いた歌を読み返してみると、自分が好きな歌を選んでいることだけあって自分が好きな歌ばかり載っていた。こういう歌選んでたんだと思って、たった一年内のことなのに面白く読みました。

今日は大晦日ですね。
春から始めたブログですが、読んでくださった方、ありがとうございます。

どうぞ良いお年をお迎えください。



舞いこみし揚羽蝶を見てミチコかなと父が言い皆で蝶を見守る
西村千恵子 4月号作2


詩がみえるように頭を空にして一人で歩くように働く
吉岡昌俊 4月号作2


われの撮るものは退屈と過ぎてゆく講師の背中にシャッターを切る
川田果弧 5月号若葉集


乗り過ごすおそれも淡き甘美にて電車の椅子はあたたきかな
相原かろ 6月号作1


還暦の父が黙って窓をふくかつてサンタが通った窓を
森永理恵 6月号作2


絵本には名前を知らない花が描かれ「はなが咲くね」とのみ子に語る
春済ちえ 6月号作2


この犬は咬むかと幼寄りながら眼と手は既に優しくなでおり
白梅 7月号作2


ひとに言へるこころざしにもあらざればみちばたの草を撮りて帰りぬ
真中朋久 8月号月集


よその子のパパに抱かれて笑ひをる吾子をぼんやり夫婦で眺む
澤村斉美 8月号月集


何度手は胸を斬ったらいいのだろう「しかたない」の手話繰り返す夜
片山楓子 9月号作1


幸せを説きゐるわれに声低く疲れないかと息子が言ひぬ
岩野伸子 10月号月集


あじさいが雨空のもと咲いているわたしはわたしを支えていたい
永田愛 10月号作1


弟が風呂場のドアを閉める音 いつか追い出される日を思う
田村穂隆 10月号作2


室外機に座って食べた昼ご飯何をしたってわれは独りで
橋本恵美 11月号作1


目が覚める前からずっと降る雨の昼過ぎ祭りは中止となれり
鈴木四季 11月号作2


床に枕が落とされてをり我知らぬ眠りのあひだのすこやかなわれ
松原あけみ 11月号作2


庭先に「きれいですね」と声かける水やる人が母に似ていて
真間梅子 11月号若葉集



塔12月号 月集☆彡

12 /27 2017

折り紙の下駄。子どもが折っていたので教えてもらった。正方形がこんなになるなんてすごい。久しぶりの折り紙はへんに緊張してたのしかった。


年内最後のバレティスに行ってきた。バレティスというのは、バレエとピラティスを合わせた体操みたいなもので、身体を伸ばしたり軽めの腹筋をしたり、のびのび―と動く。講師の先生が明るくてかわいい。いつも行くスーパーの二階の文化センターでしています。クラシック曲がかかり終わりのほうではジブリがかかりリラックス~。先生は自分も動きながらみんなに声をかけていて肺活量はどうなってんの!と思う。鍛えてる人は違う。


月集

ああ川で泳ぎたいなあ病む母のもとを離りて駅まであゆむ /栗木京子
責任感などからふと解放されたい心。流れのある川に自分を委ねたい気持ちはありながら、「あゆむ」の結句がいい。

つきかげのあるかなきかのあかるさをふりかへりみてなほゆかむかな /真中朋久
「あるかなきかのあかるさ」がすごくいいと思う。ひらがなの優しい感じに自然な心のありようが見えます。

左手を右手でつよく押さえたり心はおさえることのできねば /松村正直
触れ得るものをおさえて心をおさえる代わりにしようとしている。歌では左手と心が繋がっているよう。右手が強い理性のように思える。

御主人が苔の講座に入門されなんとなくうらやましくなりぬ /大橋智恵子
「苔の講座」と「なんとなく」のニュアンス。やんわりとした下句からはいろいろな気持ちが見えかくれする。

白桃の産毛のほほに触れてみる わたしはひとを愛し得たのか /岡部史
「愛し得たのか」という問いと答え。確信の持てなさを見つめる作者の真摯な気持ちが伝わる。

君死にしことを忘るる時が要る体操教室のちらしも貰ふ /角田恒子
「体操教室のちらしも」の「も」から想像できる、手あたり次第いろんなことに目を向けていかなければという悲しみの深さと、しっかりしていこうという心情。

戸惑いのことばを提げて帰り来る夏の稲田にうごかぬ陽射し /竹田千寿
「夏の稲田にうごかぬ陽射し」。目の前に現れた強さに、作者の戸惑いが戸惑いのままじっとあり、その後変化していくような様を思う。

秋蜘蛛が糸を遊ばす昼さがり わたしは昔たれであつたか /松木乃り
秋蜘蛛と糸の揺らぐ感じ、儚い感じ。大事なことを忘れてしまったような。昔誰かであった自分を忘れたのではというさみしさ。

石段はいづれも寺に導かれなかほどたれか腰おろしをる /万造寺ようこ
雰囲気のある歌。「たれか」という特徴のなさに歌が引き立つこともあるのだとこの一首から思った。とてもいい歌だと思う。

息子の職を横取りする奴は遠ざけて下さいと神社にお願いをする /森尻理恵
息子の性格がおぼろに浮かんでくる。作者の願いは一見強そうに見えて、「遠ざけて下さい」という誰も傷つかないでほしいという気持ちの優しい願い。

味わい深くなってゆく

ブログ
12 /26 2017
昨日の記事へ頂いたコメントのことを夕飯作りながら少し考えていた。歌が熟成することがある、というのはおもしろい見方と思う。あくまでも自分の心のなかでのことだけど。

昨日の記事にぽんぽんと書いた、
赤煉瓦文化館、赤い風船のチーズケーキ、U2。

偶然だけど、三つとも熟成ものと呼んでもいいくらいは時を刻みつつある・・・。


赤煉瓦文化館ー1909年(明治42年)竣工

赤い風船ー1968年創業、チーズケーキもスタートと同時発売。今の味になったのは1976年。

U2-1976年結成。1980年デビュー。


チーズケーキは私の小さい頃からあるし、U2はメンバーも変わることなく続いてる。

歌会が終わってランチに行く前、赤煉瓦文化館の小さい資料室で大隈言道の歌集がないかざっと見たけど、「草径集」しかなかった。でも、富士正晴(高安さんの友人)の活動のヴァイキングの何とかと書かれた、薄ーい本があった。ランチの時間が迫ってたから、ヴァイキングの何とか、とはっきり覚えてないまま置いてきた。茨城県からの寄贈だったような。次回見てみる。


昨日の赤煉瓦歌会

ブログ
12 /25 2017

この国のためにツリーから門松に一瞬で変形できるカドマツリーの設計図を持ってきました!

昨日(12/24)は今年最後の赤煉瓦歌会だった。三名欠席で八名のちょっと少なめ。いつもどおり、自由詠と題詠の各一首づつで計16首の歌を評しあった。

説明的な感じがする、そんな感じはしない。
この表現は変ではないか、変に感じない。
それはいいとして助詞の使い方がどうかな。

など。

人数が少ないのでほとんどの人が意見を言う。

自分の歌を皆がいい歌だと言ったり、皆が良くないんじゃない?と言ったりした場合は納得できるけど、半々くらいに意見が分かれたら考えてしまう・・。そう、考えてしまうのであった。

歌会が終わってのランチは、「赤煉瓦歌会で良い評を貰っていた歌が塔では落とされた」「え、あの歌?」みたいな話をお互いしながら、もぐもぐ進みました。

歌会でみんなから良い評を貰って、でも塔では落されて、考えても直すところが思い浮かばない歌。いつか違う切り口からの詠み方を思いつくまでさようなら。思いつかなかったらほんとにさようなら。


赤煉瓦文化館です。これは朝9時半頃です。午後三時ごろからは大雨になった。赤煉瓦くん一年間ありがとう、来年もよろしく。


天神に出たついでにケーキを買おうかなとデパ地下に入ったら人が多くてもみくちゃになった。鳴門海峡の渦の中にいるようだった。もみくちゃで暑さもまして、生クリームのケーキは持てないと思いチーズケーキを買う。
30年か40年前くらいからはある「赤い風船」というお店の定番チーズケーキ。長崎のケーキ屋さんのケーキ。これはね、懐かしい味でシンプルで美味しいのです。


さらにケーキを持ってまた違うビルのCDショップへ。若者のビルで、今度はもみくちゃじゃないけどエスカレーターが長蛇の列。アクセサリーとか時計が売ってある階で降りる若い人が多かった。そして目的の階に無事たどり着き今月初めに発売されてたU2のNewアルバムを買ったのでした☆彡

『柊と南天』第0号

歌誌
12 /21 2017

広げてみたらこんなふう。

『柊と南天』第0号。作者は塔短歌会の昭和48年から昭和49年生まれの方たち。同じ年だと親近感も湧いて集まると嬉しいものでしょうね。

創刊おめでとうございます。

メンバーもこれから増えていきそうな、今はまだ準備段階ということで創刊準備号の第0号にしたと書いてあります。ウォーミングアップっぽく、参加者の歌も自選十首が中心。それと題詠。
運動前の体ほぐし、温めは大事大事。0号というのはおもしろいと思いました。


誰になれば一番しあわせ雑踏のひとりになるとときどき思う /乙部真美
前を横切っていく人、すれ違う人。沢山の人の中で誰になれば一番しあわせかと思う作者。そう考えた直後、ひとりしかいない自分の存在へと思いが向かっていったのではないかと思う。人で在ることのさみしさを感じる歌。

ましろなる昏さもありて霧かかる眼下の街をひとはゆきかう /中田明子
作者の場所からは街も街を行き交う人も霧がかかっているために見えにくい。姿だけではなく、人のさまざまな想いも隠してしまう「ましろなる昏さ」がいいと思った。

月の音卵の殻に吸い込まれ卵の割れる音になるまで /池田行謙
卵に月の光が当たっているようなイメージ。光とともに音も吸い込んでいくような。卵に同化するような月、最後は卵とともに割れる静かな音を感じる。

画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森 /加茂直樹
明るく浮かびあがる小道に焦点がゆき、森のなかに伸びている。絵のこちらでは秋になっても絵のなかの森には実がつかない。おもしろい視点と思った。

「柊」
そののちを会わざる人の多かりけむ柊野別れにウィンカーを出す /永田淳

「柊野別れ」という交差点が京都にあり、この場所は昔処刑される罪人を家族などが見送る、そこから先へは行けない終わりの場所だったそうです。ウィンカーを出した時にふとその時代の人たちの大きな別れへと思いが遡ってゆく。昔は歩き、今は車という時代の違いはあっても人の悲しみの気持ちはいつも変わらない、そういう思いが伝わってくる歌。


並んでいる歌が端正で『柊と南天』という名前ととても似合っていると思いました☆彡

『夜のボート』 鶴田伊津

歌集
12 /18 2017

夜空がきれいな表紙。短歌をしていない人にもプレゼントとして喜ばれそうです。


ブログに歌集のことを書くのはひさしぶり。

緊張!

今日紹介する歌集は『夜のボート』です。作者は鶴田伊津さん。鶴田さんの『百年の眠り』という第一歌集は私が短歌に出会った頃に初めて買った歌集。塔に入る前のことなので10年くらい前のことで懐かしい。新聞歌壇を読んでいたら抜群に素敵な歌が時どき載ってその作者が鶴田さんでした。『百年の眠り』は初めて買った歌集ということでブログにはいつか書くつもりでいたので、『夜のボート』のまえに『百年の眠り』をまず少し紹介します。結婚、出産、母親の自分が詠われている。第二歌集が出版されてとても嬉しい。



『百年の眠り』

会わぬ日の続いて我はユリノキのようにまっすぐ背中を伸ばす /鶴田伊津

もたれれば障子のように頼りなきものかもしれず父という人

せいよくはふいにきざしぬさくさくとハクサイの浅漬け食みおれば

スカートの裾いっぱいの歩幅もて勝どき橋の夕暮れをゆく

ゆるゆるの網目のような子と我の時間のはじめ まずは泣かれる

まだ外に世界があると思い出すきみの上着の夜気の匂いに

子の二足歩行とともに春は来るうさぎの靴を履かせてやらな

ああそうかわたしは泣きたかったのだ 布団ふわりと子にかけやりつ


歌集前半には、自分や相手を樹や水など自然界のものになぞらえている相聞歌も多く瑞々しい。すこし照れるような歌もあります。あとは故郷の歌、結婚や出産というものへの思いなど。

らしさ、と言っていいのか、四首目の勝どき橋の歌のような積極性や自分が在るという感じ、七首目の「履かせてやらな」の前を向く感じ、歌集を読んでそんなことを受けとった。特に、「やらな」のようなLet’sや命令形は何首かあり作者の個性だと思う。八首目は母親になった作者の戸惑いや溜めていた思いが溢れている。『百年の眠り』では瑞々しさ、艶、意志、伴侶と子との関わり、そういうものが詠まれてます。


続いて『夜のボート』。
『百年の眠り』の歌で感じたものはそのままに『夜のボート』ではさらに子の育ちの歌と並行して、母親になった自分が以前の自分でなくなっていくような不安、寂しさを詠んだ歌がある。そのような歌を含めて何首か。


『夜のボート』

放埓のこころほのかにきざしたる夕、手離しで自転車に乗る

D51の上から手を振る子にわれも手を振り返す さよならさよなら 

水溜りに踏み込むわたしクスノキに登ったわたし もういないわたし

渡されし安全ピンの安全をはかりつつ子の胸にとめたり

ものの名を教えるたびにでたらめの楽しさを奪うような気がする

がらがらとゴーフルの缶に仕舞いたり都道府県を鷲掴みして

あなたとはやさしい地図だ行先も帰る先もなくただそこにある

一首目、母親、妻である自分からふと自由になりたい。自転車には乗ったまま、手だけ心だけをほんの少しだけ離す。
四首目、安全ピンというけれど、という思い。子につける立場になってあらためて思ったんだと思う。
六首目、ジグソーパズルを仕舞う。都道府県を掴むというのが面白い。
七首目、地図は自分がどこにいるかを確かめるものでもある。信頼する相手をみて自分という存在を確かめているよう。

第一歌集から十年の時が経っています。ぜひ手にとってほしい歌集です。

『夜のボート』 鶴田伊津/2017 
『百年の眠り』2007
ともに六花書林

塔11月号 若葉集(山下洋選)☆彡

12 /15 2017

もとから好きだったピーナッツの仲間。フォローしてみたら毎日一枚絵などが来るようになった。なごむー。これは少し前の絵。


最後の欄に行きついた。選歌欄から十首づつ選ぶという仕方を今回初めてしてみたけどしやすかったです☆彡


目を閉じて食べれば何味にでもなるかき氷から夏がこぼれる /うにがわえりも
かき氷はシロップの色からイチゴやメロンをイメージさせる。目を閉じれば自分の思い描く味で食べることが出来る。ほろっとくずれる氷片に瑞々しい夏が浮かぶ。

負けるだろうと思って見ている間に負けた猫の目付きが君だったこと /白水裕子
猫同士のにらみ合い。道端だったら負けた猫はニャニャーっ!と逃げていくと思うから家の猫のじゃれ合いかも。ちょっとおどおどなってしまった猫の目にふと君の目を思った。

背を向けた君を見送る紫陽花がぼくのかわりにポテリと泣いた /卓紀
君への言葉を上手く伝えることが出来なかった作者。紫陽花は傍にあったともとれるし心を占めている気持ちのようにも思える。「ポテリ」という表現、一度の泣きがいい。

声あげて泣いた最後はいつだろう?ゆかた姿は母の背を越す /卓紀
家族と旅館に泊まっているのかなと思う。いつの間にか泣かなくなりいつの間にか母より背が高くなっていた。「ゆかた姿」からは身体の縦線が浮かぶ。語が上手くいきている。

あの頃は気づかなかった潮の香に立ちどまりいる銚子駅前 /吉原真
あの頃がいつ頃を指すのかは分からない。忙しかった若い頃のことか。もとからそこに在ったのだけど気がつかなかったもの。「立ちどまりゐる」がよくていろんな思いが巡りきている。

ひとりとう自由がときに響かせる湯のみを卓にこつと置く音 /吉原真
自由というと大きなことを想像してしまう。この歌ではそれとは反対、湯のみのこつという小さな音のことを詠っている。自由と言いながらそれはさみしくもある。

雪の下一丁目5の階段にあおあおと夏のひかり降りおり /泉乃明
こういうきれいな住所があるんですか。階段にまで焦点を合わせたところがいいと思う。「雪の下」と夏のひかりの取り合わせがきれい。

庭先に「きれいですね」と声かける水やる人が母に似ていて /真間梅子
花の美しさを伝えたいからではなくて、母に似ている人に何か声をかけたいという思いの方が強い。庭先に立ち止まっている作者の姿が浮かぶ。とてもいい歌と思う。

明治堂のパン買ふ夢はいつ見ても頭脳パンまでたどり着けない /山下好美
具体的なものが二つも出てきていて夢に実感がある。トレーかカゴかに順々に入れていく途中の目覚め。「頭脳パン」に行きつけないというのがおもしろい。

終バスに一人が降りてわれひとり前向く運転手がやけに気になる /臼井均
三句目のわれひとり、で句切って読みました。運転手が前を向くのは当りまえだけど、乗客がひとりのシンとしたなか表情が見えないところの「やけに気になる」がじわじわきます。


各選歌欄はこれにておしまい☆彡

塔11月号 作品2(三井修選)☆彡

12 /15 2017
ひとつ前の記事で、寒いながらもあたたか。と書いたけどその翌日の寒さといったらなかった。

もうそろそろ塔12月号が届く頃。それにしても塔が送られてくる封筒がひとつひとつ手作業で封されてるというのを知った時は驚いた。長年その作業をされている発行所のかたに感謝です。塔ができるまでに携わっている人達の大変さを思って、せめて会費だけは締め切りまでに振り込みましょう☆彡



さて作品2の最後の欄。


洗面器に湯をためてゐる時の間に我はもつとも充実してゐる /高野岬
洗面器に溜めるとなればその場からは離れるほどの暇はない。じっと見ながら考えている自分のこと。

削られて袋にされてそのままの土の気持ちをおもふ月の夜 /相澤豊子
宮城に居る作者。月の光に照る沢山の袋の静けさが浮かんでくる。そのままの、という言葉からはそこに住む人達の状況も思い起こされる。

蓮池の暗き水面に水黽はほそき足にて大き輪を描く /伊東芙沙子
暗い水面のあめんぼ。近い場所でよく見ないと分からない。その足から広がる輪を見て心穏やかなものを感じてるように思う。

もう少し遊びたかったと子は泣いて働きたかったと親は嘆いて /井上雅史
素直な要求。「遊びたかった」の一時的なものに対して「働きたかった」は隅っこのほうにいつも抱えていることか。作者はいつもお子さんの歌を詠んでいて、作者と子どもの大きさがまるで一緒なところが毎回おもしろいです。

夏中をベランダに放つ亀なれど雨には取り込む今年はよく降る /谷口美生
夏の日の亀の様子や、雨で部屋の中にいる作者と亀の静かな感じ。「取り込む」が可笑しかった。

せみしぐれ身体に浴びるまひるまのいつかは終わる線上にいる /田村龍平
蝉の声、太陽、暑さ、匂いなど。じっとりと生きている身体を感じた瞬間、いつかは死ぬんだと思う作者。「線上」からはぷつんと途切れるイメージがわく。

縁切りし子の誕生日欄外に四十三歳と小さく書き込む /平田優子
スケジュール帳に書き込む誕生日。事情はいくつか想像できるけどはっきりは分からない。「欄外」と「小さく」が心にひびく。

床に枕が落とされてをり我知らぬ眠りのあひだのすこやかなわれ /松原あけみ
ベットから落ちてた枕。寝てる間に自分で落としてるわけだけど、枕を落とした自分を「すこやかな」と言うのがとてもいいと思った。起きてる時は自分の思いのままという風にはいかない。

靴箱の鍵ポケットにありました 遠い街の湯に送付せり /吉岡みれい
温泉か銭湯かの靴箱の鍵を持ち帰ってしまってた。手紙風の上句がいい。「遠い湯の街」もすてき。

みよさんの孫は宿題しないのだ谷をみおろすみよさんの家 /高原さやか
おもしろい歌。なんだか有無を言わさない説得力がある。「みよさん」もいいし谷をみおろす家の中にいるみよさんと孫が思い浮かぶ。


若葉集に続く☆彡

Hitori Sugar に当たってる

スガシカオ
12 /12 2017

シカオちゃんのギターではありません。ライブで休憩中のギター。

11月下旬に先行予約の抽選があった、スガシカオのHitori Sugar Tour2018、

当たった!と言う前にかみしめていて、作品2も書いていたらブログに書くのがこんなに遅れてしまいました。今、当たっている状態。

このヒトリシュガーツアーというのは、シカオさん一人でアコースティックギターを抱えて全国津々浦々回るっていうものです。

やや小さい町にも行きます。例えば米子、周南、松阪など。

シカオさんの情報ページを見ていたら、福岡は厳しそうだから長崎のほうに申し込んだ、とか書いてある人がいて、当たるかどうかドキドキしてたのでした。

しっとり系からファンクナンバーまでほんとに楽しいから、ライブで聴いたことがない人で行ってみよっかなーという人はぜひとも行ってみてください。

ツアーは来年から。一般発売はもうちょっとしたらあります。


ということで、寒いながらもあったかい日々。

(普段はシカオちゃんと呼んでいるのでシカオさんというと変な感じ。不慣れ)

塔11月号作品2 (小林幸子選)☆彡

12 /12 2017

珍しい鳥が枝にとまっていたので撮りました。どれどれ、とじっと見る方は好奇心旺盛。要らん情報と切り捨てる方は決断力があります。

朝、少しだけ雪が降っていたけど今はやんでます。
塔から歌をブログに書くときの面白いことのひとつに、作者の名字を入れたら変換ワード(候補?)としてするっと名前が出てくる、ということがある。
あ、以前にこの人の歌を選んでたんだ、と分かる。特に歌集を出してない方やそんなに表立ってない方の場合ににそう思う。
毎月のたくさんの歌の中から同じ人を選んでるということは、たぶんその人の歌や詠み方が好きなのかもしれない。


山の日に浜に寝転ぶ人たちを草のざわめく丘より眺む /近藤真啓
山の日に浜を詠うところが楽しい。浜に寝転ぶからは様々にくつろぐ人の様子が浮かぶ。山でも浜でもない作者の「丘」がいい。

淡雪が陽を反(かえ)すごと白無垢に鶴の刺繍は浮かび上がれり /杉原諒美
とてもきれい。白に白の刺繍をこういうふうに詠うのかと勉強になった。そこまで強くはないけれどきれいな陽に光っている様子が美しい。

ああおばさんだ白いもの動く朝の畑 会社勤めのような律義さ /秋田妙子
初句の「ああおばさんだ」がいい。いつも見かけるおばさんに作者も励まされているような感じ。

キリンから上が空だしその先のほぼ永遠を秋風が吹く /有櫛由之
「キリンから上が空」という作者の言い切りもおもしろいけど、「ほぼ永遠」がとてもいいと思う。永遠よりも永遠の気がする。

無職なるまっさらの日々を楽しめぬ馬鹿だわたしは 肌寒き夏 /奥山ひろ美
退職かなにかで無職になったのだろう。働いている時に比べて時間はあるはずなのに何か楽しめない。「肌寒き夏」からは馴染めなさ、自分だけが浮いているような感じが伝わる。

いっさいの誓いを果たすこともなく藤棚の下でうたた寝をする /兼子崇志
とてもいい歌と思った。誓いを果たしていないことを反省するでもない。藤の花のうらうらとした下でのうたた寝。揺れて下がる藤と作者の何もしていなさが似合っている。

緑傘返してくれとペン書きの紙ひるがえるスーパーの前 /白梅
ひるがえる紙がわびしい。傘を返してくれという叫びが叶わないような感じがする。普通の出来事が簡潔な歌になっていて面白い。

雪平鍋(ゆきひら)の把手芯から熱き夜をわれは闘わざる道選ぶ /千葉優作
掴んだ把手の熱さに瞬時に意識した闘わないほうを選ぶであろう自分。熱い把手と冷めている自分との対比。雪平鍋という手軽なものから、すっと自分の心の深くを見つめている。

やけに蒸す 窓のむこうの啼き声がヒトに思えてならない夏夜 /萩原璋子
不安感、生理的にイヤな感じのもの。「やけに蒸す」にそういった表しにくい感情が詰まっていると思う。ヒトのカタカナ表記はこの歌の中では単にイキモノとしてあるようで、そこにも作者が感じてるいやな感じが表れている。

叩かれて音を聞かれてこれこれと得意気に手を置かれた西瓜 /みぎて左手
西瓜を主語にしているところが楽しい!八百屋さんではこの様子のまんまのものを見かける。これこれ、というのが実感がある。西瓜も得意気。


次は最後の作品2。続く☆彡

ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。スガシカオ好き。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

Happy go Lucky!