塔六月号 追記☆彡

06 /29 2017

昨年大ヒットした『君の名は。』。遠くの二人が入れかわる話、とだけ聞いて観に行ったので驚いた。どうなるんだろうとハラハラしどおしでした。風景もきれいでふたりもよくて素敵な映画だった。

と、懐かしんだところで、塔六月号。
名前に関した歌が多かったです。それと杖を詠んだ歌。同じ号に集まるのはなぜなのか。

名を呼ばれ直歩は小さく返事して証書受け取る 直歩らしきかな /荒井直子
卒業式。小さく返事をする子をその子らしいと見ている母。直歩という名前が自分を素直に歩いていくような名前で、歌とぴったり。

「ランマル」 わが声に向き顔をあげゆつくり笑ひ逝つてしまへり /河﨑香南子
飼っている犬か猫の名前だろう。ランマル、という初句の呼びかけが心にくる。こういう時はこういうふうに名前を呼ぶしかないものなのだろう。

戻り来て事務所の階の暖房の中に交じれる名札かわれは /横田竜巳
戻りましたの意味で名札をひっくり返している。たくさん並ぶ職場の人の名札と名札に挟まれて、自分がふと取り換えがきくような存在に思ったのだろうか。

「伊吹山」の「いぶき」と名前覚えようはじめて汝につきたる名前 /坂上民江
わが名前説明するに使い来し昭和の「昭」がまた遠くなる /向山文昭
ケツメイシなるグループ名 決明子と知るまでに時間は流れ流れて /毛利さち子
横並びに歯磨きしつつ子の話す西内まりやの名前の由来 /山下裕美
さじを運ぶあひだに母は理解せりさつちやんの名を思ひ出せり /金治幸子
名前より自由になりて生きている 物忘れとはそういうことか /林広樹
「幸福のふくちゃん」母はたわやすく外猫Bに名前をつけた /山名聡美
昭和の子<和子さん>達が次々とお祖母ちゃんになり春深みゆく /長谷川博子


という感じで名前の歌の紹介でした。塔誌上でもいい姓名、名前をみると楽しい。
(つづく)

塔六月号 作品2続き 若葉集

06 /27 2017
(若葉集)
帰宅して水はもらえた膝をつくだいたい五時の知らない星座 /希屋の浦
吾も同じ抑揚のない話し方してたかんぱん食べて気づいた /同


掲載が三か月後のため六月号は東日本大震災の回想や追悼の歌が多くあった。
上にひいた二首は、一見たんたんと力み無く歌われているように見えて「膝をつく」「抑揚のない話し方」というような言葉から当時の異常な状況が伝わってくる。

(作品2)
友人の閉店されし居酒屋のタオルが残る顔を拭えば /杉山太郎

ありふれた水槽にありふれた魚を買ひ餌を忘れても夕暮れは来る /高橋ひろ子

絵本には名前を知らない花が描かれ「はなが咲くね」とのみ子に語る /春澄ちえ

番号を書かれて石は石垣に戻る日を待つ熊本城(しろ)の麓に /向井ゆき子

山の上のパン屋のパンの正しさを夫嫌えり菓子パンを食う /吉岡みれい

あとわずか勤めるオフィスのデスクの引き出しに金平糖は眠る /奥山ひろ美

また転移したといふきみの書き込みに何も書けない神にも祈れぬ /新谷休呆

地震の夜の忘れられない大停電美しかりき天空の星 /千葉なおみ

塔六月号 作品2

06 /26 2017


還暦の父が黙って窓をふくかつてサンタが通った窓を /森永理恵
窓という何気ないものを通して父親を慈しむ気持ちが歌われている。作者が子どもの頃、クリスマスにサンタの恰好をした父が窓から入ってきていたのだろう。今、還暦になった父がその窓を拭いている。サンタが窓を拭くというところに少し哀しみもある、父への想い。

たれとても小さな傷を負へるごと火のいろの前に人は幼し /加藤和子
火というものは世界の始まりを思わせて、また、自分が消えてしまった後もゆらめき続けていることを思わせる。そんな永い永い時間を火であり続ける火に対して、人はどこか信頼に似た気持ちを抱き無防備になってしまうものなのだろう。無防備になるから傷があらわになるように思う。火を前にして寡黙でいる様子が伝わってくる。

父に着てよりたたう紙に包みゐし喪服を母に着てまた仕舞うふ /川井典子

カレースープ妻が持たせてくれた日の職場の窓より見える白梅 /竹田伊波礼

化粧して恥ずかしくなり話せなくなってしまった男友達 /濱本凜

自分へのご褒美なりと友は言ひわれにもパフェを加へよと言ふ /広瀬桂子

被写体となるとき数秒停止することにも慣れて大人になった /紫野春

あんなところにティッシュが一枚舞い降りた人生何があるかわからん /内海誠二

客を呼ぶ看板以外に色のない街に溶けこむ月曜の朝 /丘村奈央子

悟られることを恐れて 咲き終わる菜の花ゆれて車窓に映る /中山靖子

さっきの歌をもう少し考えてみたところ

06 /22 2017
下の記事のなかの一首
あがれよとアパートのドア開けた手で友は一枚日めくりをちぎる /清水良郎

さばさばしていい歌、とさっき書いた。さばさばしながらもさみしい感じがすることを付けくわえておこうと思う。それはたぶんさっきも書いた気安さからくる簡素な感じの生活が見えてくるから。一枚日めくりをちぎるということは一日を終わらせる、迎えるということでこの歌のなかでは大事なものだった。さっきは日めくりをそういうふうに考えてはなかったので付けくわえというより違う思いになったということ。簡潔な描写で伝わってくるものがありとてもいい歌だと思う。  おしまい。

塔六月号 月集、作品1

06 /22 2017


真顔にて世をば憂ふるごとき歌真顔のわれは付箋貼るのみ /真中朋久
真顔で憂うとはどんなことなんだろう。すごく真剣、でもそれがかえってどことなくずれているような印象を受ける。その歌に真顔で付箋をする作者が面白い。作者が付箋をしたのは憂い方が上手かったからではなくて、真顔で憂い、ちょっとずれた感じに仕上がった点に魅かれたからではないかと思う。

耳つきのねこのくつした穿きながら嫁ぐ不安を君は語りぬ /斎藤雅文
耳つきのねこのくつした。嫁ぐことへの小さな価値観の違いなどが思い浮かび、また足を温めることからぬくもりも思い浮かぶ。漠然とした不安のようなものを、ねこの靴下を穿くという動作の描写でうまく伝えていると思う。

あがれよとアパートのドア開けた手で友は一枚日めくりをちぎる /清水良郎
ドアを開けた手で日めくりをちぎる、がとてもいい。気安いものばかりが歌われている。あがれよ、と言える間柄。アパートのドアも気軽な感じだし、日めくりもそう。友である作者が来て日めくりをちぎることに特に意味はないと思う。玄関の傍でまだめくれてなかったからめくっただけだろう。さばさばしていい歌。

弟の死を知らさむと異母兄へ書きし手紙の抽出しにあり /小林幸子

嫌ひな人を嫌ひだと思はずに好きだとおもふが時どき嫌ふ /岩野伸子

セールスの人は玄関を見回して一輪ざしの椿ほめたり /小石薫

乳がんの痛み知るゆえ遺族らが胸元避けて入れる花々 /貞包雅文

乗り過ごすおそれも淡き甘美にて電車の椅子はあたたかきかな /相原かろ

がうがうと唸れる山のふところへ入つてゆけば静かなる洞 /小澤婦貴子

亡き人の声きこえくる昼の月「寒い」を「淋しい」ことと気づけり /中村佳世

大小の画面ならべる電気店十人の安倍と向かいあうなり /向山文昭

柔道着の丈なおしてと孫来たり顔の巾ほど障子をあけて /中島扶美恵

塔六月号 座談会「今ここにある歌を読むことー短歌の時評・批評を考える」

06 /19 2017

「今ここにあるということ―短歌の時評・批評を考える」という題で時評の書き手五人による座談会を読みました。
皆、本当に大変な思いをして時評を書いているのがよくわかる。

震災当時出版された歌集へのその時の評や、評をする側のこと。そしてその歌集の評が今はその時とまた少し違うということなどから、言葉がその時その時で必要以上に軽く見られたり重く見られたりするのはあまりよいことではないのだろうなと興味深く読んだ。
震災のときだけ日本を離れていた黒瀬さん、震災のときはまだ短歌をしていなかった阿波野さん、震災以前から書いていたなみのさん花山周子さん、あと震災後に長い時評を担当した大森さん。いろんな視点からの話を読めておもしろかった。

「ぼくたちは体調不良」追記         (九大短歌第五号)

歌誌
06 /17 2017

先日の記事の追記。次の歌の評が中途半端だったからこうかなと思うことを書いときます。

体調悪く生きていこうみんなそれぞれの場所で生きて腸まで届こうな/菊竹胡乃美

腸というのが何にあたるか。生きて腸まで届くと聞けば思い出すのはビフィズス菌。CMでわざわざ‘生きて‘と強調するということは、腸につくのは至難の業なのだ。腸というのはビフィズス菌が自分を全う出来る目標地点。そして、その目標地点というのは生きている全員ひとりひとり違う。‘みんな‘に呼びかけている結句の‘届こうな‘が力強くてなんともいい歌だ。

おしまい! (チチヤスヨーグルトは昔らしい優しい味でほんとおいしい。チチヤスはカゼイ菌)

塔五月号豊穣祭 続き☆彡

06 /16 2017

豊穣祭は写真や似顔絵付きなので、こういうかただったのかと楽しい。同じ年に入会というのも初めて分かったりする。私は十年の欄。十年ごとの豊穣祭とひと言で言っても、入会十年から見る二十年の場所は遠い遠い。黄河の向こう岸のようだ。

豊穣祭から二首。

叡電の一駅一駅小さくて木の椅子に待つ学生たちが /前田康子

一駅一駅がいい。一駅、一駅、と自然に区切って読んでしまう。一駅、一駅。 結句の学生たちの姿は時と共にいつしか消えて昔からある木の椅子だけが残る。いろんな学生が座ってはいなくなっていくけど、変わらずにある木の椅子の存在が温かくもあり寂しくもある。


透明の傘ににじんでゆくひかり東京はずっと他人だと思う /上澄眠

映像がきれい。透明傘ににじむ街のひかりの青や赤、黄。東京に憧れの気持ちはある。見えているのに触れるまでには至らない作者と東京との間にある少しのよそよそしさ。傘は自分で開くものだからそこには作者の意思もあるのだろう。距離感というものを透明傘で表すのはあるのかもしれないが、そこににじんだひかりを歌ったことで複雑な気持ちが表れた。とてもいい歌だと思う。

塔五月号 豊穣祭

06 /16 2017

六月号が届きました。五月号の続きをあと少し。
今回豊穣祭に参加しました。写真は私が塔に入会した10年前の2007年に放映された「仮面ライダー電王」という仮面ライダー。決め台詞は「俺、参上!」。この仮面ライダー電王はバイクではなく電車に乗るということで話題になって、ライダー役の佐藤健の人気もあり大ヒットしました。豆知識終わり。

豊穣祭
入会五十年目の欄の永田和宏さん「高安国世」を読んで。今年の一月か二月かくらいに図書館でたまたまはじめて「新アララギ一月号」(だったと思う)をぱらぱらーと開いたら、永田さんがエッセイを寄稿されていました。そこには、豊穣祭の永田さんの歌にある
師は弟子が作るものなりゆつくりと膨らますべし高安国世
の一首にあるように師弟関係について思うことが書かれてありました。
自分は後輩や慕ってくる人たちを弟子と呼ぶのは上に立つ感じがするので呼べないが、自分は高安国世の弟子だと思ってる、というようなこと。他に、高安国世が土屋文明を川戸というところに訪ねた時の高安の気持ちのことを書いてありました。とても温かい気持ちになるエッセイでした。図書館でぜひどうぞ。
(豊穣祭 続く)

九大短歌第五号               「プリンの神様」「ぼくたちは体調不良」

歌誌
06 /16 2017
九大短歌第五号で楽しみにしていたもののひとつが「プリンの神様」「ぼくたちは体調不良」という連作。作者は菊竹胡乃美さん。楽しみにしていた理由は、第五号の宣伝で知ったこの題名に惹かれたのと描かれてたイラストが非常に可愛かったから。

どちらの作品も世界を明るく見ているような感じが伝わってきて楽しい。字余りの歌が多いです。生き生きとして好きな歌がたくさんありましたが三首だけご紹介。

泣けば都子宮の中にいるような布団にくるまり目を開けて寝る /プリンの神様・菊竹胡乃美
<泣けば都>という初句が面白く、<泣けば都>を受け止める二句目以降もその比喩と動作の意外性に面白さを保つことが出来ていると思う。安心できる場所から、見ないといけない現実を見ようとしている、という感じ。

うんざりなんよ会社に家庭に友達にコッペパンに相談してみる /ぼくたちは体調不良・菊竹胡乃美
「に」の使い方が面白い。作者にとってコッペパンは日頃よく食べる信頼できる好物なんだと思う。食べる時は顔の位置まで持ってきて向き合うので相談という言葉がいい感じ。うんざりなことを反芻しながら食べているのだろう。デニッシュのように主張もしないし長い時間聞いてくれるし、コッペパンは優しいパンなのだ。今度買おう。

体調悪く生きていこうみんなそれぞれの場所で生きて腸まで届こうな /ぼくたちは体調不良・同
字余りの歌が多いと言いましたが、この一首は字余りが活きていると思った。がんばる時期の長さ、届こうとする腸までの道程の長さ、腸の語からイメージされる長さ、こういったものがこのうねうねとした字余りの歌にうまく乗っているように思う。結句の届こうな、が温かいです。好きなんだけど、少し意味が分かりません。もうちょっと考えてみたいと思います。

以上、とても楽しい連作でした。おしまい!

ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。スガシカオ好き。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

Happy go Lucky!