塔9月号 月集、作品1☆彡

09 /20 2017

「Mr.Mが選をしている」「記念号扱いにしますか」「します」

9月号は松村さんが選者として載っていてびっくり。


詠草10首のなかから塔誌面に残る歌を選ぶ。
選者のかたは手書きの詠草を読むことだけでもとても時間がかかると思う。
読んでもらう側にできることは、締め切りを守って読みやすい字で詠草を書くことだけです。


それでは9月号、月集、作品1から☆彡

朴の葉のようにも寛くなりゆける母をこの頃哀れと思わず /前田康子
上の句のような優しい視点でそう考えられるようになるまでの作者の気持ちを思った。哀れではないと作者が思うならそれは本当に哀れなんかではない。

記憶とはどれほどのこと真夜中の廊下をゆけば闇はゆれてる /江戸雪
記憶についてのすこしの懐疑。廊下という限定された空間とゆれ。記憶は共有されていそうでやっぱり自分だけのものなのだろう。

なんでこんなに寒いんやろか夢のなかざるそば待つ間を呟くわたし /なみの亜子
不思議な夢の歌。寒さと空腹という人間の感情に繋がる部分がでていて面白く、すこしさみしい夢。

たまたまの夕暮れに座すどうしてもここへ来たかつた訳ではなくて /松木乃り
そして、たまたま出会ったこの夕暮れを見て作者は何を思ったのだろう。魅かれる歌です。

水を撒く指の間の濡れてきて今日も心あたりのないミスのこと /山内頌子
いつしか水に濡れている指と心当たりのないミスのつながりが面白い。

待っている 窓が汚れていくように眠い感じがここに来るのを /上澄眠
窓が汚れ視界が悪くなりだんだん世界が遠ざかる。やがて眠る。待っている、というと一見受け身にみえるけど、待っていればくる、というように世界を信用しているように思う。

夕べ蚊に噛まれた箇所を掻くばかり廊下の窓より保育参観 /塚本理加
わざわざ参観に行っての子の様子が蚊に刺されたところを掻くところ。可愛らしい歌。

夢にのみ来る犬がゐてどことなく小さすぎるがうしろから抱く /小林真代
夢に時どき来ている犬がいるなんて驚き。どことなく、うしろから、という語のおぼつかなさが夢を見ている実感を思わせる。

宙に浮く感じでひとつひとつ咲く紫陽花だったきみとの日々も /大森静佳
その先へ繋がっているわけではないきみとの日々。紫陽花だったとの言葉からは哀しいけれど美しさを感じる。

何度手は胸を斬ったらいいのだろう「しかたない」の手話繰り返す夜 /片山楓子
しかたない、という時に胸を斬る動作をする。何度胸を斬ったらいいのか、というそのままの言葉がかなしい。

(作品2に続く)

塔8月号 追記☆彡                ~身近なるかな諸先輩~

09 /02 2017
8月号は先人の方々の名前が入った歌がいくつかありました。
詠んでいるかたはそれぞれに思い入れがあり、身近に感じてあるんだと思います。

ではご紹介します☆彡

自転車をおきて大川ながめゐる中学生を視てゐし茂吉 /小林幸子
作者は隅田川(大川)に来ていて、そして茂吉がそこで詠んだ次の歌を思い出しています。

かたはらに自転車置ける少年が大川のみづに対(むか)ひつつ居(を)る   /斎藤茂吉 


大川に向いている少年、それを眺めている茂吉、そしてその茂吉を思い浮かべている作者。時間が同じ場所で繋がっているようでとてもいいなと思いました。




春雨の京都烏丸仏光寺老いし蕪村の住みいしあたり /山下洋
春雨という言葉から年老いた蕪村が持っていたのだろうと思われる静かさや柔らかさへとイメージが繋がっていきます。


悟りとは生きる覚悟と言ふ子規の語録読み解く辞書を引きつつ /上大迫實
語録が作られるほどに子規は格言を残しているようです。悟りとは生きる覚悟、という言葉は『病牀六尺』のなかの文章のひとつ。作者はそれを辞書を引きながら読み解いています。それは今の作者にとって必要なことだからです。


五、六冊茂吉全集を持ち出せば書架空間に夏の日溜まり /栗山繁
一冊どれくらいの厚さでしょうか。五、六冊ぶんの空間。棚には夏の陽が溜まり、夏の時間をゆっくりと茂吉を読む作者。


はるばると子規は来しかな父の村の句碑にあうなり青葉の光 /大内奈々
父の村、こんなところに子規は来たのかという驚き。青葉の光、という結句に作者の心の新鮮な輝きが見える。


ネギ坊主切り取りながら子規の歌浮かび来たりて振り向きたりぬ /岡田昭夫
ネギ坊主の歌があるのかと少し調べてみたけれどわかりませんでした。もしかしたらあるのかもしれません。なかったとして考えてみると、ネギ坊主の形態から一瞬子規が思い浮かび、そして歌が浮かんだのかも。振り向くくらいに子規が迫って来ていてすごい。


土屋文明に初めて採られし歌いまも思い出されるあの感激は /二貝芳
新聞歌壇に土屋文明から初めて採られた時のこと。自分では良し悪しも分からなくて出した歌に丸印がつくということ。本当に嬉しい。結句が少し素直すぎるかと思うけど今もその感激を思い出せるなんていいなと思います。


以上、8月号追記でした☆彡

(助っ人資料 「現代短歌5月号 子規考」「斎藤茂吉の百首」)

塔8月号 作品2、若葉集☆彡

09 /01 2017
9月です。朝夕涼しくなりました。もうひとがんばり涼しくなろう。
作品2の続きと若葉集です。

(作品2)
溢れ出て木々に余れる春の水 力を抜いて峠を下る /市居よね子
瑞々しく溢れくるもの。そういうものに自分をゆだねて歩く自分もその一部のよう。

いつか成ることを夢見る歩の駒でありたいけれど水を飲みたい /大橋春人
成るためには進まないといけない。歩の駒だからそれは一歩づつ。そうやって進んでいった先の自分を夢見ていても、今この瞬間に希求しているものがある。

夜がなおさびしくなった君がねえ猫かおうかなんて言うから /垣野俊一郎
お互いにさびしいと思っていてそれは口にしたら決定的になりそう。猫かおうかはさびしいと言っていることと同じで、結局さびしくなった。会話が自然で、途切れたような結句がいい。

ふと力抜きたるように風はやみ雨のかたちのままに柳は /黒木浩子
柳と雨をやわらかく流していた風。風がやんだあとの雨と柳の情景が静か。

けふ起こることもわからず春陰の信号の黄が遠くまたたく /篠野京
春の薄雲りのなかにまたたく黄色。はっきりしたものが無いなかに立ち、ふと自分の意識のほうがはっきりしていく。

(若葉集)
三本に一本は松だ<帰ったらするべきこと>を数えはじめる /八木佐織
雑多なもののなかにしなくてはいけないものが松を形として現れてくることが面白い。三本に一本は松だ、が個性的。

杵築までひとりで行って杵築からひとりで帰る君が来ぬから /大島綸子
なんともはっきりした歌。とても好きです。杵築は大分にある小さな城下町。君が来ぬから、って約束していたんだろうか。キ音、カ行の音が上手く響いている。

コーヒーの香りが好きで散歩すればいつもの人を窓際に見る /小島利明
おもしろいと思ったのは好きなのコーヒーの香りだけ?なのかな?と。窓際にいる人はコーヒーを飲んでるのでしょう。

訪れたブラスバンドの祭典で太陽の塔の背中眺める /津田純江
太陽の塔の背中。写真でもあまり見ない。ブラスバンドの華やぎは塔の表側でのことでしょうから、背中はいっそうさみしく感じる。

ないものを考えぬようツツジ見るなぜそんなにもたくさんの花 /真間梅子
ないものを考えぬようにツツジを見たのにツツジにはたくさん花があった。羨んでいるともとれるけど、どうしたらそんなに幸せそうに咲けるのかと思ったようにも感じます。

校庭で土星の輪を見る子らの目は今日は左が右より多し /上杉憲一
作者の視点にびっくり。望遠鏡をのぞく子どもの目が右か左かを見ている。今日は、と書いてあるのでいつもこうしてお世話をしている方なのだろう。おもしろい歌です。この方は七首ぜんぶ星の歌。

亡父(ちち)にしか聞けないことを思いおり深く澄みたるみずの碧さに/神山俱生
息子と父親。男として聞きたいことがあったのだろう。その思いは下の句にあるように純粋なもの。もう聞くことは出来ないということがまた思いを深くしているように感じる。

以上作品2、若葉集でした☆彡

(8月号の歌 追記に続く)

塔8月号 作品2☆彡

08 /29 2017
昨日から小中学校は新学期。今日から給食が始まりました。

このブログの調子が悪くて、前記事は書き終わった後ぜんぶ消えてしまってショック。すぐ思い出しながら書きました。
それで、今日も保存が出来なくて、念のためスマートフォンで写真を撮りました。そして、やっぱり消えました。もー。

書き写します!

(作品2)
しづまるを待たむとすれば小夜ふけてあなたのなかの葉のみだれやう/小田桐夕
葉は葉脈があり生命そのもの。相手の心の、葉のように息づいている感情のどうしようもなさに気づいても見るほかない作者。みだれやうの結句に余韻がある。小田桐さんの歌は自由度があって風っぽいところがいい。

<呉橋>は橋のかたちのお菓子にて切り分けくれし叔母もう居らず /祐徳美恵子
橋のかたちのお菓子、呉橋がいい。お菓子ではあるが橋を切り分けるという場面がもう会えない今となっては寂しい。

睡蓮といふ名の食堂夕方のラッシュの道の排ガスを浴ぶ /加茂直樹
作者の住まいはカンボジアのようです。水がきれいなところに咲く睡蓮。排ガスを浴びる睡蓮という食堂はそれとは反対の情景として目立つ。

前職のメモののこれる帳面を何もなければ閉じているのみ /横田竜巳
関係のなくなったものなので当然のことだけど、開かないという意思も感じます。

藤の咲く藤だけすごい村に来て死後のやうなり紫の空 /有櫛由之
藤だけすごいという村。自分も死んでしまったかのような静けさの中にいる作者。町ではなく村というところにも怖さがある。

十年でいつが一番かはいかつた躊躇(ためら)ふことの増えた子は問ふ/岡本伸香
十歳の子ども。本心は過去のことを聞いているのではなく、今の自分を母親に愛して欲しいのだ。旧かなの「かはいかつた」、とてもいいなと思う。

咲きたくはない桜あり咲いたなら散るしかなくて桜雨ふる /田巻幸生
散るしかないから咲きたくない、と。でも咲くしかない。そのあとの雨が悲しいけれど美しいです。

二ユーロの硬貨をすずらん一束にかえて街路に五月来ている /鈴木晴香
下の句がいいと思う。すずらんを抱えている人が作者だけではなく街を行き交う。

唐突にこの世界で生きるため必要以上に神がほしくて /山岸類子
必要以上に神がほしい、とはおもしろい。絶対的な安心感。作者にとってはそれくらいじゃないと世界は生きにくいということだろう。

雨けぶり高きビルから消されゆくなおすてがたき望みをつれて /芳仲成和
景が見えてくる。高い遠い望みから消されてゆく。残ってる望みまで消えてしまいそう、どうか消えないでほしいという願い。
消えてゆく、ではなく消されゆくという言葉からは自分の力だけではどうにもならない何かがあるのかもしれないと思う。

(作品2 つづく)

塔8月号 月集 作品1☆彡

08 /27 2017

「何してた。遅いぞ」「すみません。貴方の歌集に夢中になっていて」「え、ああ、そう・・・。」

8月ももうすぐ終わりです。全国大会がもうずっと前のような気がします。
やっと8月号の歌をきちんと読み始めました。

ということで、月集と作品1から。今月はどの歌にも短く評をつけました。

(月集)
ひとに言へるこころざしにもあらざればみちばたの草を撮りて帰りぬ /真中朋久
人に言うほどでもないのか、言わないほうがいいのか、自分の心にだけ留めておくこころざし。それは自分だけが見つけた道端の草のようなもの。

死んでゐるきみはわれには生きてをり朝霧の中に長き橋うく /岩野伸子
死者を抱えて生きる。ふたりの間に架かる橋も生きている側のもの。それがあって生きていけるということ。

よその子のパパに抱かれて笑ひをる吾子をぼんやり夫婦で眺む /澤村斉美
わが子なのに違う子のように見えてしまう。夫婦ふたりの、ぼんやりがいい。

花まつり済みて再び閉ざされし寺をつつみて青葉ふくらむ /干田智子
華やぎが過ぎて本来の姿に戻る寺。その寺を包む青葉とその景色の静けさがきれい。


(作品1)
さびしさが毒へかたちを変えぬよう木蓮の花を一心に見つむ /金田光世
自分を律する冷静さ。木蓮の花の美しさに自分がどうありたいかを重ねている。

あと一日とほい未来を掴むため奥の豆腐へ手を伸べる人 /久保茂樹
上の句が面白い。日常の景もこういうふうに見ると優しさがある。

トゲトゲのわたしが春に似合ふまで流しの下にしまふハチミツ /澄田広枝
春のやわらかさに自分を合わせたい。今は結晶しているハチミツも春には陽に明るくやわらかくなる。

おいしいもの食べると気持ちが緩むのかカレー春巻きたべながら泣く/空色ぴりか
カレー春巻き。なにかミックスされた感情、よく分からない感情に思わず泣く。

母の声忘れてしまう瞬間は私の声をつぶやいてみる /ダンバー悦子
母親の声と似ていると言われたことがあるのだろう。自分では自分の声は分かりにくい。それでも呟いてみる。母親を想う気持ちから。

改札口とほまきにして待つひとの一人となりて君を待ちをり /伊東文
ふと、自分と同じように誰かを待っている人達に気づく。少しづつ入れ替わりながらのことだろう。情景がよくわかる。

まだ読んだことはないけど図書館に行くたびさわっている本がある /上澄眠
いつも触るほど気になってはいるが借りたことはない本。借りた本よりも存在感がある。

窓際のマトリョーシカの胴うすれそれでも瞠る種のごとき眸 /清田順子
可愛らしく彩色されていたマトリョーシカ。今は色あせて眸だけ。その眸に感じたものがあったのだろう。

寝ころびて落葉だまりに見上げたる青空の中若葉のゆるる /田口朝子
葉っぱまみれの歌。落葉と若葉のとりあわせ。その間に寝ころぶ。
気持ちよさそうでしてみたい。

(作品2につづく☆彡)

ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。スガシカオ好き。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

Happy go Lucky!