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出かけて行ったS太くん

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08 /21 2019


今日はモンゴル旅行に行く次男の見送りに行きました。参加者は8人。小学生4人、大人4人(次男含む)のこじんまりした7泊のツアー。今夜は北京泊で明日午前中にウランバートルに着くらしい。明後日とその次の日の交通機関は〈馬〉とだけ書いてある。冗談ぽく、そのまま馬に乗って帰って来んかも、と次男は言って元気に出発したけど、もしそっちのほうがずっと生き生き出来るならそれも良かろうよ、と思う。楽しんできてほしい。私も25年以上は日本を出ていないから外に行ってみたい。今行きたいところはピロシキとボルシチの国。そして行って本当のを食べたい。先週、行く予定もないのに旅行の本も買ってしまった。思ってたよりあまり遠くないみたいです。近い。

『「終戦日記」を読む』 野坂昭如

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08 /16 2019

ひとつ前のブログを書いた後、花火の写真をこういうふうにブログに載せたりして平和だなと思った。今の時代は今の時代でいろいろと深刻な問題はあるけれど、夜、空襲があるかもしれないと思いながら布団に入ることはない。花火があがるこの夏をこの先ずっと保っていけるように。亡くなった人達の想いを忘れないようにしていきたい。


昨日は終戦記念日でした。
野坂昭如さんの本に『「終戦日記」を読む』という本があります。冒頭に広島県立第一高等女学校一年生だった森脇瑤子さんの日記が紹介されています。

森脇瑤子さん、女学校一年生の日記は、ごくふつう、また素直、別の言葉でいえば、ありきたり、誰かに見せるための、特別な配慮はうかがえない。しかし、明日の勤労奉仕について、「一生懸命がんばろうと思う」の、常套句そのものの一行に、ぼくはうたれた。


そして、高見順、大佛次郎、山田風太郎、藤原てい、など11人の作家が書いた〈終戦日記〉を紹介しつつ戦時中のご自分のことや世の中の様子が語られます。野坂さんは終戦の時14歳。前書きに、

あの時代、大人は何を考え、戦中、戦後どうやって生きて来たのか。~(略)文章すべてにいえるが、行間から伝わるものに配慮しないと、単なる資料。本書を編するに当たり、自分なりに、あの時代を伝えるため、ぼくの経験、客観的事実で、かなり補った。「読む」のではなく、ぼくにとって、もう一度、あの時代を生きる、少し辛い作業だった。

とあります。辛い作業だった、というのは『火垂るの墓』にもあるように幼い妹さんを亡くしていることがやはり大きいのだろうと思います。そして亡くなった事実だけではなくそれにまつわる自分の行動を思い出すことも大変辛いことなのだと思う。


語れず、書き残し得ない、満州からの引揚者、沖縄で生き残った島民の、形をなさぬ言葉を、思わなければ、何の慰霊だろうか

この言葉は”もう一つの「八月十五日」”という章の最後に出てくるものです。この章では満州や沖縄などにいて日本に見放されたようになってしまった日本人のことについての想いが書かれています。

野坂さんの視線は鋭く、またとても優しいです。人知れず内地、外地で何のためかも分からず亡くなってしまった人達へ向けられています。また同じ眼差しをもって書かれた『戦争童話集』という本もあります。たくさんの人に読んでほしいと思います。

『「終戦日記」を読む』 野坂昭如/2010年/朝日文庫
『戦争童話集』 1980年/中公文庫

大雨のなかの花火かな

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08 /08 2019


夜八時前頃から突然びりびり稲光、ばきばき雷鳴がすごかった。予定されていた百道浜の花火大会はあっているんだろうか。ごろごろどかんと鳴る音が雷なのか花火なのか分からず玄関の外に出てみたら、花火があがっていた。大雨のなかの花火。

夏はまだ続く・・・。

塔7月号つづき2

08 /08 2019
新人賞候補作、永山凌平さんの作品「正しき鵠」から。弓道が詠まれています。作者と弓くらいしか登場しないし、弓道の所作だけのような歌もあるけれどそういう歌もとても面白かったです。文語旧かな、弓、詠まれてる場面も静かで、引き締まった空気が流れている感じがよかったです。弓だけに集中している様子が職人さんぽい。


しならせて弓より弦をはづすときゐなくなりたる青鷺一羽 /永山凌平
的を狙ったり矢を放ったりする場面ではないところが、まずとても意外でした。「弦をはづす」、力やコツもいりそうだし時間はどれくらいかかるのだろう。いつの間にか消えた青鷺。静かな者同士の一方が消えてしまってちょっと取り残されたような。

明け方の机の上に冷え切つた体育座りの腕時計あり
腕時計、こういう形になることある。ちょっと斜めに置いている形。偶然そういう形になったのか、作者がそういうふうに置いて見てたのか。作者が寝た後もずっと体育座りでいた時計。

的にゐる正しき鵠 やすやすと言葉は本質を逃してしまふ
鵠というのは的の真ん中の黒いところ。正しき、というのがその場所の揺るがなさを表しているのだろうと思う。言葉で何かを表わそうとするとき、言ったそばからもうすでに違うような感覚。言い表したいがための言葉なのに上手くいかない。「やすやすと」の使い方が面白くて言葉も本質も生きているものという感じがします。

信じ切れぬ弱さよ弓は柔らかく抱ふるやうに構ふべきとて
作者と弓との関係性。信じ切れぬ弱さというのは作者が自分のことを言っているのだろう。弓を優しく扱うわないといけない、と意識してる作者。「抱く」「構う」というのが人のようにイメージされる。こうなんだろう、とはっきりは分からないけれどなんとなく伝わってくるものがある。

弦の上に麻を巻をり日の暮れしのちの道場とみに冷えつつ
していることをそのまま詠んでいるけれどとても雰囲気があるなあと思う。

残身の深き心は大鷲が地(つち)へと落とす影のごとしも
ちょっとむつかしめなところがある歌。弓の場合は残身というのは、弓矢を放った後のあの姿勢の保ちの姿のことだろうか、たぶん。その残身の心を大切に思う作者。残身を大鷲の影に喩えている。影も残身も大きく、主そのものということなのだろうと思う。

塔7月号つづき

08 /02 2019

塔新人賞候補作、はたえりさんの「交差点」から

全体的にほわっとしたやさしい雰囲気。自分を時々確認しているような歌があって面白かったです。

あなたからあなたの腕は生えていて途切れつつ剥くりんごの皮を /はたえり
相聞歌ように思います。あまり器用ではない「あなた」。皮を剥く腕も「あなた」であり、あなたを丸ごとを見つめている視線がいい。

電話からわたしの声が笑ってる ことばを伝えるのは幹なのに
わかるようなわからないような。下の句はなにか作者の大きな気持ちが入っているのはわかる。もう少し考えてみたいと思った好きな歌でした。

鈍行をあえて選んで乗る朝にふたつ結びの似合う少女ら
こういう出会いはいいなと思う。そして若い作者よりもさらに若い、ふたつ結びの似合う少女らを見る作者。遥かなものをみるような感じだったのではないかと思う。

山茶花を椿と呼んだ首すじがどうしてわたしを揺さぶるのだろう
山茶花を椿と間違えて呼んだその首すじに作者は魅かれる。りんごの皮を剥いていた人と同じ人だろうか、花の名を間違えたりと少し不器用なのかもしれない。どうして揺さぶるのかという、作者の率直な想いが若々しく、また美しいです。

ukaji akiko

塔短歌会。福岡市在住。赤煉瓦歌会に参加しています。