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『世界で一番すばらしい俺』工藤吉生

歌集
02 /09 2021


短歌結社「未来」所属の作者の第一歌集。331首がおさめられています。
歌集名は次の一首からとったもの。

膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺

この一首はインパクトがあり、そういう景色をまず思い浮かべるけれど、そのあといろいろ考えてしまう。どういうことだろう。本当に「世界で一番素晴らしい」と自分で思っているのか、皮肉なのか、など。

次のような歌があります。

がんばろう?それは地震のやつですか今それオレに言ったんすかね?

震災後「がんばろう」という言葉がたくさん言われていた。そしてそのうちだんだんと、ある部分では何かが失われてしまい、作者にとって「がんばろう」は「地震のやつ」という意識にまでなってしまう。本来は力強い言葉だったものがいつしか文字だけになってしまったような面があり、それはよく言われる「いるだけで素晴らしいあなた」「世界で一番素晴らしいあなた」というような言葉と似ている気がしました。

本当に「世界で一番すばらしい俺」だとするならどうして暗い野原で膝蹴りを受けているのだろう、おかしいじゃないか。という作者の社会への視線があるのではないかと思いました。そして「受けている」という現在形は、今もそうなんだという作者の姿が浮かんでくるようでした。


歌集を読んで思ったことは、作者は周囲に視線を配りながらどこか自分のことを小さいと見なしている感じ。けれど、何かの大きな力に取り込まれることは拒んでいる感じ。人社会の上下。憧れ。小さいものへの眼差し。など。


好きな歌、気になった歌を混ぜ混ぜでいくつか引きます。

電柱を登ってゆける足がかりとても届かぬ位置より生える
面白い歌。でも、散歩のような気軽さのなか、上を見上げて「とても届かぬ」というところの寂しさ。

吐く息の白は消え去りこんなのは誰でもできるあなたにもできる
ふわっと膨らんで消えてゆく白い息。楽しいけれどこんなのは誰でもできること。あなたにもできる、が優しくて寂しい。

「引」と書いてあるけど押してもひらくのがわかっちゃったし肩からいくぞ
そうは書いてあるけど見破ったぞ!という感じが楽しい。

力の限りがんばりますと言わされて自分の胸を破り捨てたい
本心ではないことを言わされた。それに屈してしまった自分が嫌だった。「自分の胸を破り捨てたい」がとてもいいと思った。

この人にひったくられればこの人を追うわけだよな生活かけて
ひったくられるのはバッグの類だろう。「生活かけて」という言葉にそこに入っている切実を思った。

殺人をしてしまったら殺人をしてない人に憧れそうだ
ほとんどの人は殺人は犯さないで一生を終えるだろう。そしてその大多数に入らない人達がいる。その人達の想いというのは、普段私達が誰々に「憧れる」というものとは全く違うレベルのものだと思う。明るさがない。一度過ちを犯してしまったら努力で大多数のほうにいけるということはなく、すごく考えてしまった。大多数のほうに今自分もいるんだ、ということも思った。


特に好きな歌
小さな子小さな足をのせている小さな車いすはゆっくり
僕は汽車、汽車なんだぞー!と駆けてきた子供がオレにぶつかって泣く
眠るため消した電気だ。悲しみを思い返して泣くためじゃない


(小さな感想)
作者はしばらく前は塔にいた方で毎月楽しみに読んでいました。退会されてからの歌も一冊の歌集で読むことができてよかったです。最後に引いた電気の歌は塔誌で読んで、そうだなあと印象に残っていた歌。表紙の写真がとてもきれいだと思いました。

『世界で一番すばらしい俺』工藤吉生/短歌研究社

一首評(ほとりVol.5.塔短歌会三十四十代特集*中田明子『乱反射』より)☆彡

12 /25 2020

置いてゆくものへの賛辞のようでしたうす雲を曳く橋の風景 /中田明子

遠い景色の見える歌。風景、とあえて言っているので、この歌は橋のある風景が描かれた絵画をみての歌なのだろうと思う。うす雲を曳く橋の絵を見た時に主体の心に湧きあがった感情が詠われている。

まず、「置いてゆくものへの賛辞」というものに惹かれる。生きていると新しいものとの出会いがあり、今まで出会ったものすべてを、もう、抱えてゆくことが難しいということもあるだろう。場合によっては捨てるという選択が相応しい時もあると思う。歌のなかの「置いてゆくもの」が何なのかは分からないけれど、主体が今まで深く心を寄せていたものだろうとは分かる。

主体はそれを置いて前へ進むのだが、捨てるのとは違って置いてゆくということは振り返ることも出来る。その時置いてきたものの姿が遠くに見える。その遠さがこの歌に柔らかな広がりを持たせていると思う。振り返る時にそれは、うす雲を曳く橋のように消えそうで、けれど消えずにそこにあるのだろう。うす雲を曳く橋という表現は独特だ。ふつう橋は動かないものだから雲を曳くとは言わないけれど、たぶん橋のひとところにかかっている雲が後方へ後方へとその後ろは消えかけながら伸びているのだろう。

「賛辞のようでした」というきっぱりとした軽やかな表現からは、その絵を観る前までの主体の想いもわずかながら分かる気がする。絵を見た瞬間に訪れた心の区切りがもたらす明るさ、そして同時に切なさが伝わってくる。魅かれる一首でした。


☆小さな感想
この一首は絵画のことだろうと(上で述べたようにわざわざ風景という言葉を使っているので)思うけれど、もしかしたら有名な絵画なのかもしれないと思いました。うす雲と橋でぴんとくる人もいるかもしれない。自分にとっての置いてゆくものと捨てるものってなんだろうと、その違いを考えたりもして面白かったです。

『にず』田宮智美

歌集
08 /01 2020


塔会員の作者の第一歌集。2004年から2019年までの402首が収まる。

歌集名の、「にず」って何だろうと思った。似ず?何のことだろうと思って読んでいると「にず」の歌がありました。

くり返し「寂しい人生だ」とつぶやけば祖母に「楽しい」と訂正される/田宮智美
虹、虹と幾たび言えど通じぬを「にず」でようやく伝わる、祖母に

「にず」とは虹のこと。ここに詠われている祖母への想いが込めてあるのだろう。また、希望のようにも見えて儚く消えてしまう虹には、作者の日々の想いと重なるものがあるのではないかと思いました。



上に引いた歌の一首目に「寂しい人生だ」とあるように、この歌集は寂しい。くり返し詠われる「一人」が切ない。

薄い壁越しに花火の音を聴き裸でそうめん茹でる 一人だ
一人なり。テレビの中の被災者はみんな誰かと支え合ってて

一首目、「裸でそうめん茹でる」、なにか吹っ切れて堂々としているかのようにも見える一人。けれど壁の向こうでは花火を見る人びとの賑わいがある。あと少しで向こうへ行けそうな薄い壁、そのこちらに作者はいる。
二首目は東日本大震災の後に支え合う人々をテレビのこちら側から見ている作者の姿。


作者は震災を経験していて、震災の歌もある。けれど歌集を通して読んで感じたのは、いろいろな出来事の事実そのものよりもそこに浮かびあがる自分と、家族を含む他者との距離感を見つめる寂しさでした。

「たすけて」を「大丈夫!」に変え笑いたり災害強者だったあの日々
わたくしの名に九つの窓があり結露しているその磨りガラス
ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

助けて、と言えなかった自分。その時のことは痛みとなって今も残っている。
二首目は作者の名前のなかにある九つの四角の窓。窓というのはその中を見せるものでもあるけれど、この歌の窓は磨りガラスであり結露もしていて中が見えない。作者の持ついろいろな姿を思わせる九つがいい。三首目は、どこか遠慮している自分を思った歌なのだろう。灯かりは紐を引かないと点かないことを頭では分かっている。踏み出そうと逡巡しているようでもある。


生きててもいいと思った天気予報外れて晴れた波打ち際で
これは歌集の前の方にある歌。寂しさ抱えて、何かを求めてはまた寂しくなる。その繰り返しのなかを前を向く。作者は幸せに敏感だ。

ヒメジョオン摘む人の誰もいなければ胸の高さに咲く線路脇
ヒメジョオンへの眼差し。胸の高さに咲くヒメジョオンは作者の胸の内と呼応しているかのようだ。

寂しさとともに、ふるさと、仕事、家族を見つめる歌。作者の姿が見えてくる一冊でした。

『にず』田宮智美/2020./現代短歌社

『飛び散れ、水たち』 近江瞬

歌集
05 /27 2020


塔短歌会所属の作者の第一歌集。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの章があり、Ⅰ、Ⅱは「僕たち」の世界が淡い輪郭をともなって詠われています。また「僕たち」の歌が並ぶなか、作者が自身に向けて問いかけている歌も登場します。そこでは不安や焦り、もどかしさ、寂しさが詠われていて、そういう歌に特に魅かれるものがありました。Ⅲは社会人となった作者が出身地でもある石巻市で、記者としてひとりの人として被災地と向き合う姿が詠まれています。ⅢはⅠ、Ⅱとは趣が大きく変わり、歌集を通して読むとそれはとても面白いなと思いました。


前半から五首ひきます。

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った
他愛のない日常の一場面。ふわっとした軽やかさ。いつもとは違った世界が見えたのだろうか。もしかしたら限られた「僕たち」の世界で眼鏡を交換したところで見える景色の違いはわずかなものかもしれない。はにかんで笑ったような、そんな感じがします。

黄昏に盗まれてゆく教室で君から充電コードを借りる
黄昏に満ちる教室の色のやわらかさの中、過ぎてゆく時間を共にしているふたり。充電コードを借りるということでなんとなく時間が継ぎ足されるような、不思議な雰囲気がある。

てっぺんにたどり着けない服たちが落ち続けてるコインランドリー
コインランドリーの中できれいになりながら回る服。それをてっぺんにたどり着けず落ちるものとして見ている。自分の服だろう、捩じれたりヘタッたりしながら落ち続ける様子に哀しさがきた。落ち続ける、という言葉に痛みがあります。

線香花火のひねりをほどきその中のあまりにわずかな火薬に触れる
あまりにわずかなという言葉からやはり心細い歌にもとれるけれど、火薬があるということがとても大事なことのように思える。ひねりをほどいたところにある火薬。わずかだけれども確かにあってそこに触れる。自身の奥にあるものを確かめに行っているようだ。手触りを感じる歌です。

焼きそばのソースの染みた箸先を真夏の夜空へ君が向ければ
「向ければ」と言う結句がどこかへ繋がっていくような歌。想いははっきりとは分からない。けれど君との親しさや解放感が伝わってくる雰囲気がよかった。


後半。歌のみひきます。
Ⅲは被災地で取材をする作者から見た現実が詠われています。ストレートな歌の背後にある作者の心情。そのすべてを分かることは出来ませんが伝わってくる多くのものがありました。Ⅲの後半は歌に文章が添えられています。それもよかったです。

塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
話を聞いてと姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて
忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空


『飛び散れ、水たち』近江瞬 2020年/左右社 

マスクの話 

ブログ
05 /15 2020


近所の酒屋さんでマスクを買いました。このお店の奥さんの手作り。落ち着いた色味が素敵だなーと思って自分用のを買いました。ノーズワイヤーというのかな、それも入っていて300円。ほとんど材料費に消えてしまうだろう。この辺りではこういう値段では売ってないですよ、などなど店主の方にお話ししていたら、「あー、だからかな。マスクのことを聞いたと言って初めてお店に来られた人がお酒は買わずにマスクだけたくさん買われていったんですよねー」と言われました。
なんと…。

店主の方はとても穏やかな方で常連さんにしか売りませんというのではないし、誰でも買っていいと思ってレジ横に置いて売っていると思うのですが、こういうことを聞くといろんな人がいるなかで何かをするというのは本当に大変なこと、予想していないことが起こるのだとあらためて思います。奥さんはたくさん数を作ってボランティアのようなところへもお渡ししているとのことでした。このマスクは遠出のお出かけ用に使おうと思っています。(今の状況からだと地下鉄に乗るのも遠出に入りそう。子どもも休校だしまだ先になりそうだ)

ukaji akiko

塔短歌会。福岡市在住。赤煉瓦歌会に参加しています。