塔7月号 追記☆彡

07 /27 2017

(地球のことはまた後にして今日はお醤油かならず買わんと)

昨夜はうちからほど近い百道浜というところで17年ぶりの花火大会があっていました。マンションの踊り場から見てみると福岡タワーの右に左に大きな花火が上がってる。でも、今マンションが改修工事中でなので花火はさみしいシート越し。少し見ただけで部屋に帰りました。

さて!塔七月号では、浅田真央さんの引退や大岡信さんを偲んだ歌が多かったです。これは、そういう出来事があったのでそういう歌が多いのは当然です。

でも、何も出来事がないのに、今月もあるモノがなぜか多く詠まれていました。

それは何かというと。



the Earth


地球を歌にするのってむつかしそうですがいろんな歌いかたがあるものだなと思いました。

そんなにも大きなものではないのかもしれない 地球を半周ばかり /永田和宏
飛行機で移動している時の歌。半周ばかりの‘ばかり‘が地球の大きさを気軽なものにしてます。すっと入ってくる歌。

杉のないレバノン、金の採れぬ佐渡ごとりごとりと地球儀回す /朝井さとる
かつて採れていたものが採れなくなった。歌からはこの先ずっとそんな場所が増えていくだけのような印象を受ける。ごとりごとりの音がなんだか怖い。

ぬばたまの地球に落ちてきた男デヴィッド・ボウイとなりて施す /萩原璋子
面白い歌~。暗かった地球に色を与えたのがデヴィッド・ボウイということかな。デヴィッド・ボウイとなりて施す、だから元々は神様なのでしょう。

なげくまじ地球に朝の来る様に老いたるわれにもあしたは来るさ /江見眞智子
地球には朝が来て自分にはあしたがくる。CMでは地球の明日とかいうけど、よく考えたら地球には朝がくるだけだ。

いつまでも心の中のカプセルホテルに隠れて 地球は宇宙 /田村穂隆
カプセルホテルは人ひとり分の大きさ。地球は大きくても今の自分の世界はカプセルホテルくらいということ?一字空けの結句がぽっかり浮かんでる地球を思わせる。

地球とう小さき星の里山の棚田と遊ぶ蛙とあそぶ /森山功
棚田と遊ぶは面白い言いかた。棚田を作っているかたかもしれないと思う。遊ぶとあそぶの表記の違いは、仕事としてと、ただ楽しくあそぶのとの違いだと思う。

この地球(ほし)の行く末憂ひてゐるごとくゴリラの瞳いつも悲しい /大沼智恵子
ゴリラは人に近いから表情や目を見ていると何か考えているような気がする。憂いているのかどうかはわからないけど、いつも悲しそうな瞳はしてる。

ピラミッド生態系と王政と地球は好きだが世界は嫌い /井出明日佳(若葉集)
面白い。地球は好きで世界は嫌い。生態系も王政も図式化できるけど世界を図式化することは出来ない(出来るもの?)。
世界のどんなところが嫌いなのだろう。こんなふうな問いもたぶん世界の一部なんだろう。

撃ち落とす都市の真中に君は居る付録の地球儀抱き締めたまま /頬骨(若葉集)
付録の地球儀を抱くというところから、子どもかなとも思う。紛争など、そういうものが思い浮かんだ。

以上、地球の歌でした。たくさんあって不思議です。おしまい!
(追記その2に続く)

塔7月号 作品2の続き、若葉集

07 /25 2017
今日は土用の丑の日ということでスーパーにもウナギが並んでました。
国産です、鹿児島産です、の声を聞きつつ、本当かな~?と一応は疑う。
疑いながらそのウナギをじっと見る。


作品2の続きと若葉集です。

子は育ち君がななめにゼッケンを縫うこともなし 四月はさびし /垣野俊一郎
四月のさびしがりかたのその視線があったかい。ななめにゼッケンを縫ってしまう君のキャラクターが浮かんできます。ななめのゼッケンがとってもいい。


思ひきり今日の姉から嫌はれた目もあけず居る姉に 又来るね /松井洋子
姉を見舞った時の歌だろう。目を閉じて寝たきりの状況かもしれない。思いきり嫌われたというので、かなり自分の思いをぶつけたのだろう。でも、姉から嫌われたと言わず、今日の姉から嫌われたと言っているところに明るさがある。又来るね、の呼びかけに返事はないのだろう。優しく哀しい歌だと思った。


高望みもうしないただポケットにじかに小銭を入れない男 /里見万里子   (若葉集)
単に好みを述べた歌ではなくて、作者の近くにこういう人がいたのだろうと思う。作者はあまりその人物を好きではなかったか好きだったかで、それでこの歌になるのだと思います。ポケットにじかに小銭を入れない男、というのがとても実感があって面白い。


(作品2)

ベンチからさっと飛び出しびゅんびゅんと春風を斬る代打の素振り /坂下俊郎

竹箒であれが大菩薩峠だと庭掃く人が教えてくれぬ /髙野岬

バス停でぼんやりバスを待つ真昼だれかが敷いたアスファルトの上 /石井暁子

レシートにアドベンチャーと記さるるをしみじみとみて財布に仕舞ふ /岡本伸香

取り壊し終へたる吾が家しばらくは家跡でゐよ影を立たせて /永山凌平

麓より桜は山を上りゆくその中腹に練習機(あかとんぼ)落つ /若山浩

神様のパンフレットを持つひとと畑のなかに尾長のはなし /高原さやか



(若葉集)

ヘッドホンしたまま君の駅へ行く「もう関わらない」と言う為だけに /川又郁人

泣くまでにもう少し掛かる友のため駅まで歩く花冷えの夜/魚谷真梨子

塔7月号  作品2

07 /23 2017

(暑さで敵が二人に見える・・。もはやこれまで。)

今、テレビでは5月にさいたまスーパーアリーナであったスガフェスがオンエアされているところです。私も行きました。
テレビは点けず録画中。この夏の元気の素のひとつです。

毎日暑くて目がくらくらします。

作品2
三月の陽を浴び信号待つまひる木綿のやうなをんなに逢ひたい /黑田英雄
まだ少し寒いなかのやさしい陽射し。それからイメージされる木綿のやうなをんな。三月の陽も木綿も控えめでありながら寄りそうようなやわらかさがあります。をんなという旧かながこの歌の雰囲気にあっていてとてもいいなと思う。

人として尊敬できない母といて公園にみずうみを見渡す /川上まなみ
尊敬できないと思っても親子ではあるということ。それはどこにも流れてゆかず動かないみずうみのようで、作者の心に苦しさを感じさせてしまう。見渡すという言葉から冷静に何かを捉えているような作者が浮かびます。

いつせいに吊り革きしむ夕まぐれ川面はひどくくれなゐを帯ぶ /千葉優作
いっせいにきしむ吊り革。電車のぎゅっとした揺れと夕方のその時の一瞬、映像と時間とがとてもうまく切りとられていると思う。下の句のひどく、くれなゐ、など強めの語に一首がきりっ。川面のくれない色が作者を含む乗客、人というものに寂しさを投げてるようにも感じます。

松明は回廊を走り暗がりに火の粉すばやく掃く人の見ゆ /澤﨑光子

この犬は咬むかと幼寄りながら眼と手は既に優しくなでおり /白梅

通り過ぎ交通調査のカウンターひとりぶんの音を鳴らした /徳田浩実

せいせいとするはずだった帰り道立ち読みをするファッション雑誌 /山名聡美

留学は気管支炎で幕を閉じゼミ室に戻るあいつのつむじ /中井スピカ

目覚めても傷口はひらいたままで アネモネの赤い庭を行き過ぐ /山川仁帆

顔ゆがめ泣きはじめたるに赤鬼ちやんとひそかに名付けつぶやいてみる /丸山真理子


(つづく)

塔7月号 月集、作品1

07 /21 2017

九州北部は昨日梅雨明けしたようです。夏になりました。

つぎつぎに羽ばたくごとき音のして梅雨の駅から人は去りゆく /吉川宏志
ばさばさ、と傘をひらく時の音と鳥の羽ばたきの音。そして、鳥も人も、どこかへ向かってその場所を去るというところも同じ。「つぎつぎに」の言葉にひとりひとりの存在が浮かび、どこかへ向かうひとりひとりが寂しくもある。

守るとはやわらかな悪 藻川にはきのうとちがう水が流れて /江戸雪
守る。やわらかな悪という表現になるほどと思いました。守ってあげるという気持ちが強すぎると、相手にきのうと違う水が流れていることに気づかないかもしれない。藻川という川の名からもイメージされるものがあり深い歌だなと思いました。

枕辺に猫いることの確かさにプラネタリウム灯すごとき夜 /山内頌子
枕辺に猫がいるということはプラネタリウムの消えない星と同じくらい作者には確かなものなのだろう。心穏やかに安心して眠る作者の姿。

ゆふぐれの川風さむく吹く中をさくら見にきてしかたなく見る /岩野伸子

自転車を漕ぎゆくわれに見えぬもの飛行機雲を子が発見す /花山周子

五年日記の今日を書くとき繋がつて苦しくなりぬ 二人の日日 /浜崎純江

免許証返上せしがかたちよき軽自動車を見て佇みぬ /山崎一幸

春を病むきりきりと病む藍鼠のスカーフ結び木漏れ日の駅 /田中律子

ひとしきり笑いし後に手を振りつ 知らず知らずに踏んだ花びら /塚本理加

なにとなく祖母のしぐさの思われて庭に来ている雀見ており /中澤百合子

どこにでも行けない足で何を思う 夜だけ足は靴下をぬぐ /片山楓子

大らかな上司数名ありしこと米炊く湯気のように思えり /山内頌子

お寺はなにをするとこぞ

07 /19 2017
一昨日の海の日は、大阪の現代歌人集会には行かず子の剣道の応援に行きました。大阪が「調べ」ならこっちは「カタ」だ!と思いながら。

調べの型への関わりかたというか、そういう話もあったでしょうか。そういうこともいつか機会があれば聴いてみたいです。

同じく海の日、高校生の娘は部活のOB主催のバーベキュー大会に行っていました。

昭和29年卒の81歳のかたが来ていてパイプを咥えてたとか
バーベキューした場所はOBのかたのお寺の庭だった、とか娘から聞いているうちにそんな感じでお寺で集まって何かしてたというの、なんだったっけ?とちょっと考えて思い出しました。

塔が創刊された時に二上令信という人がいてそのかたの実家がお寺で、そのお寺で全国大会をしたことがあった、ということ。それです!

塔事典には1967年に重願寺で全国大会をして大学生の永田和宏が初めて参加したと書かれてあります(p206/執筆者池本一郎)。

去年創刊号復刻版を読むまでは二上令信の名前も知らなかったから不思議なものだなあと思います。このかたは塔第一巻に文章をたくさん書いていて少し脱線してるとこもありましたがそれもふくめてとても面白かったです。

思い出すことが増えるのは地味に嬉しいことだと思いました。

思ひつめてゐたりしものか雨の空踏切にきてはじめてあふぐ                        
二上令信 /塔1954年9月号


時どき塔創刊号復刻版を紹介しようと思います☆彡

ukaji akiko

塔短歌会。ふだんは赤煉瓦歌会に参加しています。気軽に好きなことを書いてゆこうと思います。

プロフィール欄がなぜか二つになっていて直りません。

Happy go Lucky!