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『飛び散れ、水たち』 近江瞬

歌集
05 /27 2020


塔短歌会所属の作者の第一歌集。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの章があり、Ⅰ、Ⅱは「僕たち」の世界が淡い輪郭をともなって詠われています。また「僕たち」の歌が並ぶなか、作者が自身に向けて問いかけている歌も登場します。そこでは不安や焦り、もどかしさ、寂しさが詠われていて、そういう歌に特に魅かれるものがありました。Ⅲは社会人となった作者が出身地でもある石巻市で、記者としてひとりの人として被災地と向き合う姿が詠まれています。ⅢはⅠ、Ⅱとは趣が大きく変わり、歌集を通して読むとそれはとても面白いなと思いました。


前半から五首ひきます。

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った
他愛のない日常の一場面。ふわっとした軽やかさ。いつもとは違った世界が見えたのだろうか。もしかしたら限られた「僕たち」の世界で眼鏡を交換したところで見える景色の違いはわずかなものかもしれない。はにかんで笑ったような、そんな感じがします。

黄昏に盗まれてゆく教室で君から充電コードを借りる
黄昏に満ちる教室の色のやわらかさの中、過ぎてゆく時間を共にしているふたり。充電コードを借りるということでなんとなく時間が継ぎ足されるような、不思議な雰囲気がある。

てっぺんにたどり着けない服たちが落ち続けてるコインランドリー
コインランドリーの中できれいになりながら回る服。それをてっぺんにたどり着けず落ちるものとして見ている。自分の服だろう、捩じれたりヘタッたりしながら落ち続ける様子に哀しさがきた。落ち続ける、という言葉に痛みがあります。

線香花火のひねりをほどきその中のあまりにわずかな火薬に触れる
あまりにわずかなという言葉からやはり心細い歌にもとれるけれど、火薬があるということがとても大事なことのように思える。ひねりをほどいたところにある火薬。わずかだけれども確かにあってそこに触れる。自身の奥にあるものを確かめに行っているようだ。手触りを感じる歌です。

焼きそばのソースの染みた箸先を真夏の夜空へ君が向ければ
「向ければ」と言う結句がどこかへ繋がっていくような歌。想いははっきりとは分からない。けれど君との親しさや解放感が伝わってくる雰囲気がよかった。


後半。歌のみひきます。
Ⅲは被災地で取材をする作者から見た現実が詠われています。ストレートな歌の背後にある作者の心情。そのすべてを分かることは出来ませんが伝わってくる多くのものがありました。Ⅲの後半は歌に文章が添えられています。それもよかったです。

塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々
話を聞いてと姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて
忘れたいと願ったはずのあの日々を知らない子どもを罪かのように
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空


『飛び散れ、水たち』近江瞬 2020年/左右社 

マスクの話 

ブログ
05 /15 2020


近所の酒屋さんでマスクを買いました。このお店の奥さんの手作り。落ち着いた色味が素敵だなーと思って自分用のを買いました。ノーズワイヤーというのかな、それも入っていて300円。ほとんど材料費に消えてしまうだろう。この辺りではこういう値段では売ってないですよ、などなど店主の方にお話ししていたら、「あー、だからかな。マスクのことを聞いたと言って初めてお店に来られた人がお酒は買わずにマスクだけたくさん買われていったんですよねー」と言われました。
なんと…。

店主の方はとても穏やかな方で常連さんにしか売りませんというのではないし、誰でも買っていいと思ってレジ横に置いて売っていると思うのですが、こういうことを聞くといろんな人がいるなかで何かをするというのは本当に大変なこと、予想していないことが起こるのだとあらためて思います。奥さんはたくさん数を作ってボランティアのようなところへもお渡ししているとのことでした。このマスクは遠出のお出かけ用に使おうと思っています。(今の状況からだと地下鉄に乗るのも遠出に入りそう。子どもも休校だしまだ先になりそうだ)

『空と海のあいだに』石牟礼道子全歌集

歌集
05 /08 2020


『苦海浄土』で名を知られている作者の歌集。『苦海浄土』は新聞などで書評は読みましたが本は読んでいません。そして作者が歌を作っていたとも知りませんでした。短歌がまずあってその次に小説へと移っていったそうです。『空と海のあいだに』は昭和64年刊。昭和19年ー昭和40年の歌とエッセイが載っています。全歌集には平成27年までの歌集未収録の短歌とエッセイも収められています。

作品は後に作者が水俣の海のことと関わっていくことの導きのように海、空、命が詠われている。作者は若い頃何度か自死をしようとしたりと危うい内面を抱えていたようだ。

なんでもない顔付きをして皆汽車に乗つてゐるなんでもない風にわたしもしてゐやう
わが命絶つには安き価なり二箱の薬が五円なりといふ

一首目は一首だけで読むのと歌集の中で読むのと印象が変わる。これらの歌は17歳から21歳くらいの間の歌。なんでもない風にしている痛々しさ。


そういうなかでその後生まれた子どもの存在は作者を生の方へと傾かせてくれる存在だったのかもしれない。子どもを詠んだ歌に印象深いものがありました。

我が内に巣喰ふ両極を律しゆく吾子にむかへば祈りにも似る

子どもがいることでなおさら死が意識されることもあるかもしれないが、やはり安らぎを与えてくれるものでもあったのだろう。

作者は次第に短歌から離れていく。『海と空のあいだに』は表現に迫力がある歌が多い。作者の内面に渦巻くエネルギーのようなものは歌にはおさまりきれないものだったのか、自分が自分でいるための選択、そういうことだろうかと、とエッセイ「詠嘆へのわかれ」を読んで思いました。

遊び呆けて夕やみ頃を帰り来し吾子がいふなりおかえりなさい
人間の足のごときを具へればわが戻るべき海すでになし
赤いマフラの男も鋪道によろけ出て街の夕べは其処から濁る
岩礁のさけめよりしばし浮揚する藻のごとくなるわれの変身
あくびまじりの念仏呪詛にかはりゆき拭きのこさるる母ののどのくぼ
雪の辻ふけてぼうぼうともりくる老婆とわれといれかはるなり


『海と空のあいだに』石牟礼道子 2019年弦書房

瞬く間にもう5月なり

ブログ
05 /07 2020
ひと月ほどブログを書いていませんでした。

途中、いくつか思っていることや出来事を書こうとしてはそのまま。家の中のことのいろいろ、どうしたものかということがいくつかあり、どうしても自分の気持ちが落ち着かない。でもちょっとづつでも大したことのないことでも書いたほうがいいかもしれないな

『星の王子さま』☆彡

ブログ
04 /06 2020


『星の王子さま』オリジナル版を見かけたので買いました。右が今回買った岩波書店オリジナル版、左は30年くらい前に買った岩波少年文庫版。どちらも内藤濯訳です。『星の王子さま』は今は他の訳者のものもいくつか出ているけれど私の年代では内藤さんの訳で読んだ人が多いのではないかと思います。

物語の始めのほうに出てくる、のみこんだけものが腹のなかでこなれる、という描写。この「こなれる」は他の方の新訳ではどうなっているのかが気になり、新訳が出た当時そこだけをまず確かめたささやかな事務的思い出があります。違うのか?同じなのか?はたして…

結果…
「こなれる」は「消化される」となっていました。(おーーー)

どちらが好きか、とかは読む人の好みなのでいろんな翻訳があったほうがいいと思う。

『星の王子さま』は昔友達が貸してくれた思い出と一緒になっていることもあり、内藤さん訳が好きです。この先もずっとあってほしいなと思います。

ukaji akiko

塔短歌会。福岡市在住。赤煉瓦歌会に参加しています。