『世界で一番すばらしい俺』工藤吉生
歌集
短歌結社「未来」所属の作者の第一歌集。331首がおさめられています。
歌集名は次の一首からとったもの。
膝蹴りを暗い野原で受けている世界で一番すばらしい俺
この一首はインパクトがあり、そういう景色をまず思い浮かべるけれど、そのあといろいろ考えてしまう。どういうことだろう。本当に「世界で一番素晴らしい」と自分で思っているのか、皮肉なのか、など。
次のような歌があります。
がんばろう?それは地震のやつですか今それオレに言ったんすかね?
震災後「がんばろう」という言葉がたくさん言われていた。そしてそのうちだんだんと、ある部分では何かが失われてしまい、作者にとって「がんばろう」は「地震のやつ」という意識にまでなってしまう。本来は力強い言葉だったものがいつしか文字だけになってしまったような面があり、それはよく言われる「いるだけで素晴らしいあなた」「世界で一番素晴らしいあなた」というような言葉と似ている気がしました。
本当に「世界で一番すばらしい俺」だとするならどうして暗い野原で膝蹴りを受けているのだろう、おかしいじゃないか。という作者の社会への視線があるのではないかと思いました。そして「受けている」という現在形は、今もそうなんだという作者の姿が浮かんでくるようでした。
歌集を読んで思ったことは、作者は周囲に視線を配りながらどこか自分のことを小さいと見なしている感じ。けれど、何かの大きな力に取り込まれることは拒んでいる感じ。人社会の上下。憧れ。小さいものへの眼差し。など。
好きな歌、気になった歌を混ぜ混ぜでいくつか引きます。
電柱を登ってゆける足がかりとても届かぬ位置より生える
面白い歌。でも、散歩のような気軽さのなか、上を見上げて「とても届かぬ」というところの寂しさ。
吐く息の白は消え去りこんなのは誰でもできるあなたにもできる
ふわっと膨らんで消えてゆく白い息。楽しいけれどこんなのは誰でもできること。あなたにもできる、が優しくて寂しい。
「引」と書いてあるけど押してもひらくのがわかっちゃったし肩からいくぞ
そうは書いてあるけど見破ったぞ!という感じが楽しい。
力の限りがんばりますと言わされて自分の胸を破り捨てたい
本心ではないことを言わされた。それに屈してしまった自分が嫌だった。「自分の胸を破り捨てたい」がとてもいいと思った。
この人にひったくられればこの人を追うわけだよな生活かけて
ひったくられるのはバッグの類だろう。「生活かけて」という言葉にそこに入っている切実を思った。
殺人をしてしまったら殺人をしてない人に憧れそうだ
ほとんどの人は殺人は犯さないで一生を終えるだろう。そしてその大多数に入らない人達がいる。その人達の想いというのは、普段私達が誰々に「憧れる」というものとは全く違うレベルのものだと思う。明るさがない。一度過ちを犯してしまったら努力で大多数のほうにいけるということはなく、すごく考えてしまった。大多数のほうに今自分もいるんだ、ということも思った。
特に好きな歌
小さな子小さな足をのせている小さな車いすはゆっくり
僕は汽車、汽車なんだぞー!と駆けてきた子供がオレにぶつかって泣く
眠るため消した電気だ。悲しみを思い返して泣くためじゃない
(小さな感想)
作者はしばらく前は塔にいた方で毎月楽しみに読んでいました。退会されてからの歌も一冊の歌集で読むことができてよかったです。最後に引いた電気の歌は塔誌で読んで、そうだなあと印象に残っていた歌。表紙の写真がとてもきれいだと思いました。
『世界で一番すばらしい俺』工藤吉生/短歌研究社